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2009/09/13 on air  「映画をプロデュースするってどういうことですか?」           (guest) 一瀬隆重さん


ハリウッドで勝て! (新潮新書)



ハリウッドで勝て!


一瀬 隆重




(オープニング)

「こんばんは、岡田准一です。 今夜も始まりました 『Growing Reed』
この番組では、毎週一つのテーマの専門家をお呼びして、徹底的に質問。
番組の終わりには “考える葦” として、
僕も、みなさんと一緒に、成長したいと思います。

えー、本日のゲストはですね、
日本映画界を代表するインディペンデント・プロデューサーの、一瀬隆重さんです。

わかりますかね、これ 聞いて、
一瀬さん、何を作ってるかというとですね、
『リング』 『呪怨』 を作っているね、プロデューサーですね。
一瀬さんといえば 『ハリウッドで勝て!』 という著書もあるように、
ハリウッドからも注目される 映画プロデューサーということですけどもね。

映画監督に比べて、映画プロデューサーという仕事がですね、
日本では まだまだ、馴染みの薄い存在かもしれませんけど、実は とても、
プロデューサーなので、監督よりも上の立場にね、いて、
まあ、日本よりも、海外では、お金を集めて来たりして、
全ての決定権を持っているっていうのが “P” といわれるね、プロデューサー。
そんなプロデューサーに、僕は なりたい。
という、ちょっと、自分の希望を言ってみましたけど、
いつかね、なってみたいなと思いますけど。でも、たぶんね、
僕がなりたいプロデューサー像と、一瀬さんはね、ちょっと違うかもしれないんですけど、
ま、でも ちょっと、いろいろ こう 海外でね、やって、
どうやって ゴリゴリにやってんのかと。
ま、本人もね、結構 イケイケな方のイメージは、僕も あるんですよ。
ちょっと そんなところも 今日、聞いてみたいなと思いますし。

でも、すごいですよ、一瀬さん。 ちょっと、紹介しますね。
23歳で、プロデューサーとして デビューですね。
中学生の時に、自主映画を作ってらっしゃったみたいです。
そして、98年に 『リング』
日本国内で、興行80億円。 貞子が出て来たやつですね。
リメイク版 『ザ・リング』 が、全米興行1億3000万ドル。
これ、すごいですよ、大ヒットです。
“ジャパニーズ・ホラー” っていう言葉、そして 作品が、世界を席巻しました。
そして 『リング』 に続き 『呪怨』 とかがね、リメイクをされ、
サム・ライミと共同でプロデュースした、ハリウッド版の 『THE JUON/呪怨』 がですね、
2週連続 1位に輝いたという、
日本で初めて、日本プロデューサーとして初めて、そういう 偉業を成し遂げたという、
『THE JUON/呪怨』 も、1位に輝いて、全米マーケットを連続制覇。
2作品あわせると、2億6000万ドル。
すごいですね。 こんなに 行ったということですよ。
その他にも いろいろ、
『シャッター』 『犬神家の一族』 『GOEMON』 も やられてますね。
ま、イケイケですよ。 そして 今年、あと6本 控えてるという。ま、怪物ですよね。
どんだけ やってんだっていう。
そんな、ノリにノッてる一瀬さんに、
“映画をプロデュースするって どういうことですか?” をテーマに、
お話を お伺いしたいと思います。

J-WAVE 『Growing Reed』
新しい一週間、最初の60分。 ぜひ、一緒にお付き合いください。」



(曲)
LINKIN PARK 『NEW DIVIDE』
トランスフォーマー/リベンジ


岡田くん
  「一瀬さん。 肩書きに “インディペンデント・プロデューサー” って。」
一瀬さん
  「ええ。」
岡田くん
  「これ、絶対 “インディペンデント” って、付けてるんですか。」
一瀬さん
  「付けるんですよ、ええ。」
岡田くん
  「独立。」
一瀬さん
  「うーん。 ていうのは、プロデューサーってね、たぶん その、
  一本の映画に、いっぱいいるじゃないですか。
  いろんなタイプの人がいるんで、でまあ、だいたいは、
  日本の場合は、会社に所属して、会社員で、
  テレビ局の映画部の方とか っていう人が多いんですよ。」
岡田くん
  「どっかの どこどこの “P” プロデューサーですよとか。」
一瀬さん
  「ええ、ですよね。
  だから、僕の場合は、そういう人とは、ちょっと違いますよって(笑)
  一応、自分の足で立って やってるんでって。
  まあ、自分で会社やってるから、そういう意味では、会社は くっついてるんですけど。」
岡田くん
  「海外とかでも、この “インディペンデント・プロデューサー” っていうのは、
  入れるんですか。」
一瀬さん
  「海外は、まあ、インディペンデント・プロデューサーが ほとんどですね。」
岡田くん  
  「まあ、そうですね。」
一瀬さん
  「会社に所属してる人っていうのの方が、少ないですね。」
岡田くん
  「これ、日本のプロデューサーの皆さんに、なんかこう、
  メッセージみたいなの、入れてるわけですか?(笑)」
一瀬さん
  「インディペンデント・プロデューサーになって下さいね、
  皆さんも なって下さいねっていう思いなんですけどね。」
岡田くん
  「あぁ。
  『お前らも、ちょっと インディペンデントでやれよ!』 と。」
一瀬さん
  「プロデューサーになりたい人に、講演とかに行くと、必ず 聞かれるのが、
  『どうやれば フジテレビに入れますか?』 とか、聞かれるんですよ。
  それは、知らんと(笑)」
岡田くん
  「アハハハ!」
一瀬さん
  「大体、フジテレビに入ったからって言って、
  映画部に行くかもわかんないし、映画やるかも わかんないし。」
岡田くん
  「会社が作りたいんじゃねえだろー、と。 自分が 映画 作りたいから・・・」
一瀬さん
  「そう、そう、そうなんですよね。」
岡田くん
  「プロデューサーになりたいんであれば、何 背負ってんだ、と。」
一瀬さん
  「やればいいじゃん。」
岡田くん
  「(笑)」
一瀬さん
  「ていうことなんですよね。」
岡田くん
  「ねえ。 戦う 一瀬さんというね。」
一瀬さん
  「(笑)」
岡田くん
  「戦う・・・(笑)戦ってるイメージは、でも、強いですよ、一瀬さん。」
一瀬さん
  「あっ、そうですか?」
岡田くん
  「やっぱり、イケイケな・・・」
一瀬さん
  「別に、戦いたいわけじゃないんですけどね。」
岡田くん
  「アハハハハ!
  イケイケ プロデューサーのイメージは強いですよね。」
一瀬さん
  「いろいろな人が、向かって来ると。」
岡田くん
  「アハハハハ! やっぱり こう、戦っちゃうタイプですか?」
一瀬さん
  「うーん、まあ、好きで この仕事してるんで、
  好きじゃない事は、やりたくないなっていうのは、基本にあるんですよね。」
岡田くん
  「少年時代とかは、どうだったんですか? 映画の思い出とか。」
一瀬さん
  「オレはねえ・・・怪獣映画ですよね。」
岡田くん
  「うーん。」
一瀬さん
  「ちょうど、怪獣映画世代で、5歳ぐらいんときに、
  親が 『バンビ』 っていう ディズニーのアニメ、連れてこうとしたんですよ。
  うちは、神戸の、ちょっと田舎に行ったんですけどね。
  そこの駅に 『バンビ』 のポスターが貼ってあって、
  隣に 『サンダ対ガイラ』 って 怪獣映画のポスターがあって、
  どうしても そっちが観たいと言って、観に連れてってもらって、
  それが、初めて映画館で観た映画で、もう、そのへんから映画漬けですね。」
岡田くん
  「で、自分で作ってたわけじゃないですか。 監督の方をやってた・・・」
一瀬さん
  「中学の頃から。」
岡田くん
  「中学から、やってたんですか。」
一瀬さん
  「はい。 最初は、だから・・・」
岡田くん
  「大学じゃなくて、中学から やってたんですか?」
一瀬さん
  「中学から やってたんです。」
岡田くん
  「へぇー。」
一瀬さん
  「プロデューサーっていうの わかんないんで、最初は。
  だから、映画 作りたい イコール 監督やるっていうことで、やってたんです。」
岡田くん
  「あっ、そっか。 中学時代から、自主映画の製作を・・・」
一瀬さん
  「うち、坊ちゃん学校だったんで、8ミリカメラ持ってる友達とか いたんですよね。
  なんで 『それ ちょっと貸してよ』 つって。」
岡田くん
  「切って、貼って・・・」
一瀬さん
  「そう、そういう時代ですよ。」
岡田くん
  「作って・・・」
一瀬さん
  「はい。 一回 切り間違うと もう終わりみたいな、ねえ、昔は。」
岡田くん
  「(笑)そうですよね、 それが終わって、なぜ、プロデューサーを目指したんですか。
  目指したんですか? これ。 なっちゃったんですか?」
一瀬さん
  「(笑)これは、ま、監督としては 落ちこぼれたんですね、やっぱりね。
  だから その、自分で楽しんで作ってる分には 良かったんだけど、
  同世代の監督が撮った映画を、上映会とかで観ると、もう、明らかに才能が違うと。
  もう これは、自分は無理だ、と思って。
  でも、映画は好きなんで、映画の仕事をしたいなと思ってたときに、
  ちょうど、角川映画っていうのが流行って、
  プロデューサーっていうのが、ガーンと、世の中に、こう、みんな 知るようになって、
  で、それまでは プロデューサーって、何するのか よくわからなかったんですけど。
  で、プロデューサーなら出来るかもと、まあ、思ったんですよね。」
岡田くん
  「最初は、プロデューサーっていうのを、何だと思ってましたか? 知り始めた頃。」
一瀬さん
  「最初は、よく わかんなかったんですね。
  だから ほんとに、初めて。 初めてプロの仕事をしたのが、プロデューサーだったんです。
  僕、下積みとか アシスタントとか、やったことがないんで、
  いきなり、プロデューサー・・・」
岡田くん
  「アシスタント・プロデューサーも やらずに・・・」
一瀬さん
  「やらずに、いきなり プロデューサーになったんですよ。
  なんで、現場行って 何するのか、わかんないんで、
  ま、ボーッとしてですね(笑)」
岡田くん
  「(笑)あ、それでも 何人かいる中の “P” ですね。」
一瀬さん
  「そうそう。 4人、いたんですよ。」
岡田くん
  「あっ、はいはい。」
一瀬さん
  「で、僕は、4番目だったんです。 だけど、何故か、上にいた3人のうち二人が、
  なんか ちょっと、いなくなっちゃって、途中で。
  で まあ、結果的に なんか、いろいろ やることになったんで、まあ、いろいろ・・・」
岡田くん
  「そこで 覚えたんですか。」
一瀬さん
  「覚えたんです。」
岡田くん
  「23歳のとき。」
一瀬さん
  「23歳のとき。 そうです、23歳のとき。」
岡田くん
  「頭下げにいったりとか、お金 集めたりとか、そこまでしてたんですか?」
一瀬さん
  「あんまり、頭下げたり(笑)当時から しなかったんですけどね。」
岡田くん
  「アハハ! 『うるせー』 って、言いそうですもんね。」
一瀬さん
  「いえいえ(笑)その頃からね、まあ・・・」
岡田くん
  「口説くのがうまかったんですか? 何ですか。」
一瀬さん
  「いや、僕、口べたですもん。」
岡田くん
  「それじゃあ、どうやって、企画を、どうやって 通してるんですか?」
一瀬さん
  「いや、いまは まあ・・・」
岡田くん
  「 『やるよ!』 つって。」
一瀬さん
  「いや、いや、いや、そんなことはないですけどね。」
岡田くん
  「 『お前、やるよ!』 つって 『ついて来いや!』 つって。」
一瀬さん
  「まあ まあ、こんなのどうですかね? みたいなことですけどね。」
岡田くん
  「へぇー。 23歳って、何も知らないわけじゃないですか。
  もう、やるしかなかった。 お金・・・」
一瀬さん
  「もう そのときは、そのプロジェクトは、お金も集まってて、
  そこに まあ、押し掛け女房みたいなかんじで。」
岡田くん
  「ほぉー。」
一瀬さん
  「手塚治虫さんの息子で、手塚眞監督て方がいらっしゃって、
  彼と僕、学生時代から知り合いで、彼が 初めて、映画 撮るっていうので、
  ギャラいらないから、プロデューサーで使ってよ、って言って、行ったんですよ。
  で 『いいよ』 って言われて行って。 だから、ギャラも無いけど、
  替わりに プロデューサーやらしてもらうみたいなかんじだったんですよ。」
岡田くん
  「名前、もらって。」
一瀬さん
  「プロデューサーっていう 名前もらって。
  で、プロデューサーの勉強さしてもらってっていう、そっから始めたんですよね。」
岡田くん
  「なんかこう、初めてだったことばっかりだったんじゃないですか?」
一瀬さん
  「うん。 なんか・・・」
岡田くん
  「どういうこと してたんですか?」
一瀬さん
  「ある日、遅刻して。 朝、よく 新宿の駅前とかで、ロケバスが待ってて、
  みんな スタッフ、そこに乗らなきゃいけないんですけど、乗り遅れたんですよ、寝坊して。
  で、現場、もう 慌てて行って、誰かに怒られるなと思ったら、
  ま、考えてみれば、誰も怒んないんですよね。
  プロデューサーだから(笑)いてもいなくても 関係ないじゃない、
  みたいなかんじだったんですよね。」
岡田くん
  「アハハハハ! まあ、そうですよね。」
一瀬さん
  「まあね、現場ではね、現場では。」
岡田くん
  「現場では、そうですよね。 そのあと、大変だったんじゃないですか。」
一瀬さん
  「だから、その映画で勉強したのは、ちょうどその頃って、
  単館ブームの まだほんとの、最初の頃で、そういうのが やっと出始めた頃だったんで、
  映画館にブッキングしたりとか、宣伝とかも 手作りで、自分達でやったりとか、
  そういうのをやって、勉強しましたね。
  だから、制作のこと勉強したっていうよりは、
  配給どうすんのかとか、宣伝どうすんのかとか、
  映画のビジネスって どういうふうになってるのかとか、
  そういうことを、主に 勉強しましたね、最初は。」


(曲)
TAHITI 80 『MADE FIRST(NEVER FORGET)』
パズル


岡田くん
  「軽く、出来るかなーと思って入ったわけじゃないですか。」
一瀬さん
  「まあ、最初はね。」
岡田くん
  「実際は、どうだったんですか?」
一瀬さん
  「ま、出来ましたよ(笑)」
岡田くん
  「え、それ なんで、思ってたより・・・聴いてる人が、じゃあ・・・
  プロデューサーって、まあ 客観的に言うと、
  監督とかよりも偉い位置にいるわけじゃないですか。
  昔で言うと、なんかね、セーター 肩から掛けて こう・・・」
一瀬さん
  「それは、テレビのプロデューサーじゃない?(笑)」
岡田くん
  「テレビのプロデューサーみたいなイメージも、普通の人は 持ってるかもしれない。」
一瀬さん
  「プロデューサーっていうと、ああいうイメージかもしれないですよね。」
岡田くん
  「そうですよね。」
一瀬さん
  「うん。」
岡田くん
  「プロデューサーとは こうなんだっていう認識が、
  たとえば、日本と海外で、もうちょっと違ったりするじゃないですか。」
一瀬さん
  「まあ、違いますね。」
岡田くん
  「アメリカでは もう、プロデューサー つったら、ほんとに偉いし、
  日本でいうと、また ちょっと違うふうにとられたりとか、するじゃないですか。
  どういうふうに 説明しますか?
  リスナーの人も・・・」
一瀬さん
  「まあ、プロデューサーって、会社でいうと、社長さんですよね。
  だからその、実際に もの作るのは 自分じゃないけど、映画という会社を 運営して行く。
  だから、お金も集めなければいけないし、適材適所で 人を配して、
  どういうふうに その商品が成り立って行くのかっていうのを、見て行く。
  当然、クリエイティブなことも含めて、
  クリエイティブなことと、ビジネスのことと、両方を見てかなきゃいけないんで、
  バランスを取って行かなきゃいけない職業だと思ってますね。」
岡田くん
  「バランス係。」
一瀬さん
  「バランス係ですね、うん。」
岡田くん
  「プロデューサーとして、初めて成功したのは、何ですか。」
一瀬さん
  「自分の中で、すごく、これでやって行けるかなと思ったのは、
  『夢みるように眠りたい』 という、林海象監督の映画ですね。
夢みるように眠りたい [DVD]

  これも、ほんと 手作りの映画で。
  ベネチア映画祭っていうのに呼ばれて行って、ヨーロッパ 初めて行って、
  ベネチア映画祭っていうのに行って、
  『夢みるように眠りたい』 掛かる前の日に、映画を観に行ったら、
  その映画は 酷くて、ブーイングの嵐で、お客さん みんな、途中で帰っちゃって(笑)」
岡田くん
  「帰っちゃいますからね、海外の・・・」
一瀬さん
  「こりゃあ、シビアだと。
  こりゃ 明日(笑)ヤバイよって話になったんだけど、 
  まあ なんとか 『夢みるように眠りたい』 は、ほんとに、
  スタンディング・オベーションがあって。」
岡田くん
  「結構、話題になりましたよね。」
一瀬さん
  「佐野史郎さんのデビュー作なんですけど、佐野くんと一緒に、涙しましたね。」
岡田くん
  「うーん。」
一瀬さん
  「それが やっぱり、日本以上にやっぱり、外国のお客さんて、
  ストレートに 感情 ぶつけて来るんで、それが やっぱり、大きかったですね。
  これで、やってけるかな? と思った 最初は そこかな。
  実際は、そっからも、なかなか食えなかったですけどね。」
岡田くん
  「どんな・・・食えてるイメージはあるんですけど。」
一瀬さん
  「(笑)いまはですよね。 その頃は、食えてないですよ。
  でもね “人の運” ていうのかな。
  やっぱり プロデューサーって たぶん、人の運が一番 大きいんだと思うんですけど、
  人の運には恵まれてて、セゾングループという、西武百貨店とかパルコとかやってる、
  セゾングループっていうところが 映画会社をやりたいんで、
  そこに、来てくれって言われて、
  最初は、そこに入って 『帝都物語』 っていう映画を、
  26歳のときに、プロデュースさしてもらって。」
帝都物語 [DVD]

岡田くん
  「ヒットしましたよね。」
一瀬さん
  「うん、そうですね、おかげさまでね。 それは、大ヒットしましたね。
  そのぐらいからですね、ほんとに、だから、食べてけるようになったのは。」
岡田くん
  「でも、3年間ですよね、いま 聞いてると。 26から・・・(笑)3年間しか、
  3年間しか、だって、食えなかったっていうのが 無いじゃないですか。」
一瀬さん
  「3年間で、食えるようになった(笑)」
岡田くん
  「アハハハハ!
  早い。 “P”としては早いですよ、全然(笑)」
一瀬さん
  「早い。 でもね、そのあとも、今度 自分で会社やるようになってからは、
  まあ、大変な時期もあったですよ、そりゃね。 人には言わないけど。」
岡田くん
  「まあ、人には、ね。」
一瀬さん
  「プロデューサーの やっぱり最大の仕事っていうのは、
  どんなに困ってても、困ってる顔をしないっていう。」
岡田くん
  「あー・・・そうか。」
一瀬さん
  「やっぱりその、お金 足んないよとか、お金がヤバイかもみたいな顔してたら、
  やっぱり、スタッフもキャストも、仕事できないじゃないですか。」
岡田くん
  「うん、うん。」
一瀬さん
  「やっぱり、だいじょぶ だいじょぶって顔してるけど。
  大変だったりもしますよね、やっぱり。」
岡田くん
  「じゃあ、何年・・・20年以上ですよね、映画業界。」
一瀬さん
  「25年ですね、今年で。」
岡田くん
  「25年。
  どうですか、日本は変わりましたか? 邦画は。」
一瀬さん
  「変わりましたね、邦画はね。」
岡田くん
  「キツい頃ですよね、ちょうど・・・」
一瀬さん
  「僕が入った頃は、邦画なんて、誰も見ないみたいな、
  あんな 陰気なもの、誰も見ないみたいな。」
岡田くん
  「(笑)陰気じゃないですよ。
  でも まあ、ちょっと、その、映画ブームではなくて・・・」
一瀬さん
  「その頃 やっぱり、陰気な映画、多かったですよ。
  娯楽映画みたいなもの、すごく少なくて、
  割とこう、監督の ほんとに、
  自分で好きなもん撮りました、っていうようなものばっかりだったんで、
  たしかに、暗い映画 多かったし、辛気臭い映画 多かったし。
  だから やっぱり、若い人は、デートで観に行くみたいな映画なんて、
  あんまり無かったですもんね。」
岡田くん
  「そんときから比べると、いまは・・・」
一瀬さん
  「いまは、そういう意味ではね、ですよね。 そういう意味では。」
岡田くん
  「ある意味ではね、また、バブルが弾け・・・」
一瀬さん
  「まあね、もう、弾けますよねえ。」
岡田くん
  「弾けますよね。」


(曲)
RED HOT CHILI PEPPERS 『DANI CALIFORNIA』
ダニー・カリフォルニア


岡田くん
  「どうなんですか。 インディペンデントって名乗ってる限り、
  いま、世の中的には、テレビ局映画っていうか、
  テレビ局がやんないと、宣伝の効果もあって、
  ヒットがなかなかしないっていう時代になっちゃってる・・・」
一瀬さん
  「うん、なってますね。」
岡田くん
  「そこは、どうなんですか。」
一瀬さん
  「うーん。 難しいところですよね。
  だから、テレビ局も ほら、一方でね、
  すごい儲かりました。 例えば 『ROOKIES』 やりました。 すごい儲かりました。
  一方で、損はしてもいいから、ちょっと冒険的な映画もやりましょうよ、
  みたいなふうに なってくれればいいんですけど、
  儲かる映画ばっかり やろうとするんでね。」
岡田くん
  「まあ でも、掘り下げ過ぎて・・・掘り下げっていうか、まあ、漁り過ぎて、
  もう 無くなって来てますからね。」
一瀬さん
  「無くなって来てますよね。」
岡田くん
  「無くなって来たら、そっちに行くしかないとは思うんですけどね。
  その前に、もう、弾けちゃって・・・」
一瀬さん
  「映画、だから、厳しいとこに来てますよね。」



岡田くん
  「逆に、邦画の いいところ・・・」
一瀬さん
  「邦画の いいところ。 うーん、まあ やっぱり、アメリカ映画やってて思うのって、
  やっぱり あれ、産業なんですよね。
  だから、自動車 作るようなもんで、ほんと システムが出来てて、
  いろんな人が、企画に対して 口も出す。
  そうやって、こう、規格品が出来て行くみたいなかんじ。
  いまのアメリカ映画っていうのは、どんどん、そっちの方向 行ってしまって。
  日本映画っていうのは、まあ、
  監督の思いとか プロデューサーの思いとかで、まだ、作れたりもするので、
  そういうところは、いいと思いますよ、やっぱりね。
  だから、なんかこう、勢いで作りたいみたいなところがあって、
  なんか そういう、情熱とか、そういうものが 映画に宿るっていうか、
  なんか そういった映画を、日本は作っておくべきだと思うんですけどね。」
岡田くん
  「うん。」
一瀬さん
  「テクニックとか 予算では、アメリカに なかなか敵わなかったりするので、
  だから、そこへ行かずに、なんか 違うことで勝負したい。」
岡田くん
  「難しくないですか。
  日本では日本で、事務所の力が強くて・・・(笑)」
一瀬さん
  「まあ、たしかに・・・」
岡田くん
  「アハハハ!」
一瀬さん
  「その通りです。」
岡田くん
  「そういう問題も 起きてるじゃないですか。
  もの作りとしては・・・
  まあ、あんまり、こういうとこで話しちゃ いけないのかもしれないですけど。」
一瀬さん
  「アハハハ! いやあ、もう ねえ。」
岡田くん
  「ねえ。 会社が強くて・・・」
一瀬さん
  「まあ だから、日本は ほんとに、会社な社会なんですよ。」
岡田くん
  「うん。」
一瀬さん
  「アメリカで、インディペンデント・プロデューサーが なんで成立するかっていうと、
  個人を大事にするんですよね。
  会社の中の個人なので、だから、会社でやってるわけじゃないんですよね。
  そこが やっぱり、日本は 大きく違うんですよね。
  もう一つは、やっぱり すごく小さな村なので、日本は。
  村の掟みたいなのが いっぱいあって、なんか、そっから外れたこと やっちゃいかんよ、
  みたいなことは、暗黙の了解としてあるじゃないですか。」
岡田くん
  「うん、うん。」
一瀬さん
  「やっぱり、その中で ものを作って行くっていうのは、
  たしかに、大変なところは多いですよね。
  でも、アメリカはアメリカの 大変さがあるし、日本は日本の 大変さがあるし、
  どっちも大変ていえば 大変ですよね。」
岡田くん
  「それを、壊そうとしてるんですかね?
  そういうわけでは ないですか。」
一瀬さん 
  「ま、そんなね、大それたこと考えてるわけじゃないんですけど(笑)」
岡田くん
  「アハハハ!」
一瀬さん
  「僕自身が、あんまりそこに、がんじがらめにされたくないなっていう かんじですかね。」
岡田くん
  「そういうのが やっぱり、
  日本でプロデュースするのと、ハリウッドでプロデュースすると、
  違いっていうのは・・・」
一瀬さん
  「うん、ありますね。
  アメリカの場合は やっぱり、いろんな人のOKを取らないと、映画は作れないんで、
  ほんと、そのシステムが出来てしまって。」
岡田くん
  「それも、難しいですよね。」
一瀬さん
  「大変ですよね。」
岡田くん
  「旗手っていうか、旗振りが多いと・・・」
一瀬さん
  「やっぱりね “船頭 多くして・・・” じゃないですけど、
  やっぱり 違ったもん なってっちゃったりすることもあるし。
  例えば、ある会社と、映画、準備してました、企画してました。
  でも、その人が 急に、ヘッドハントで 他の会社 行っちゃったら、
  もう、誰も やらなくなって、
  何年も準備してたけど、もう その映画 終わり、みたいなことも ありますからね。」
岡田くん
  「うーん。」
一瀬さん
  「日本だと あんまりね、そういうことは無いですけど。」
岡田くん
  「まあ、引き継いだりとか・・・」
一瀬さん
  「アメリカって やっぱり、そういうところは すごく、はっきりしてるっていうかな。」
岡田くん
  「うーん。難しい・・・
  いいとこもあるし、両方、いいとこもあるし、悪いところも・・・」
一瀬さん
  「そうですね。 だから ほんとは、
  日本映画のいいところと、アメリカ映画のいいところが組み合わさって、
  いいものが出来ればいいなぁと思うんですけどもね。」
岡田くん
  「うーん。
  海外の映画人は、邦画を、どう評価してるんですか。」
一瀬さん
  「まあ やっぱり、昔に比べて、海外の映画を たくさん観てますよね。
  すごく、マニアックに観てますね、みんな。」
岡田くん
  「うーん。」
一瀬さん
  「だから、
  僕等が知らない映画の話題とか されたりすることも あったりするぐらいですし。」
岡田くん
  「へぇー。 映画祭とかじゃなくでですか? 」
一瀬さん
  「いや、もう・・・」
岡田くん
  「普通に、撮影現場で・・・」
一瀬さん
  「普通に いま、手に入ってますもんね。」
岡田くん
  「あー・・・」
一瀬さん
  「だから、例えば 映画会社の人と会ってても、いろんな 映画の情報を知ってたり。」
岡田くん
  「へえー!」
一瀬さん
  「あと まあ、インターネットでね、情報が出てくる時代だし、
  昔に比べると、いろんなこと知ってますね。
  だけど まあ、なかなか、日本映画の良さっていうのは、
  日本人以外に伝わり難かったりするとこもあるじゃないですか。
  それはやっぱり、ああいう、日本映画 独特の情緒とかっていうのって、
  やっぱり、なかなか 外国の人に伝わらなかったりするし、だから まあ そういう意味では、
  残念なことに、日本語の映画が海外で大ヒットするっていうことは、なかなか難しい。
  言葉の壁があって、難しいんですけどね。」
岡田くん
  「それで、ホラーを持ってったんですか?」
一瀬さん
  「ま、これも、結果論ですけどね。」
岡田くん
  「あっ、そうなんだ。」
一瀬さん
  「別に、そんなこと考えて 作ってるわけではなくて。」
岡田くん
  「ああ、そっか。」
一瀬さん
  「たまたま・・・」
岡田くん
  「 海外に持って行くなら ホラーだろう、ってなったわけじゃないんですか。」
一瀬さん
  「いや、全然ないですね。
  僕は だから、一時 アメリカで、低予算の映画 何年か作ってて、
  それでまあ、このまんまじゃ もう無理だなぁと思って、一回 日本 帰って来て、
  で、たまたま 『リング』 を作ったんですけど。
  そんときは別に、それで もう一回 海外 行こうと思ったわけじゃなくて、
  日本で当てるんならなんだろうと思って、まあ 『リング』を作ったんですけど。」
岡田くん
  「もともと、怖いのが好きだったんですか。」
一瀬さん
  「うん、ちょっと、たぶん。
  ホラー映画が とくに好きってわけじゃなくて、
  たぶんね、怪獣映画ですよ、全て。 怪獣映画の影響ですね。」
岡田くん
  「あー。 貞子も、怪獣映画からの・・・(笑)」
一瀬さん
  「僕等の世代の監督とか作家に、
  ホラーを作る才能が、同時多発的に出てる理由っていうのは、
  たぶん 子供の頃に、みんな、円谷英二という人の、
  “ウルトラ・シリーズ” とか 怪獣映画とかを、観て育ったからだと思いますけどね。」
岡田くん
  「あー・・・」
一瀬さん
  「やっぱり その、日常空間に 異形の怪物が現れる恐怖みたいなものに、
  毎週 毎週、僕等 さらされて、子供時代を送ってたんで(笑)」
岡田くん
  「はぁー、円谷・・・すごいですね、そう考えると・・・」
一瀬さん
  「すごいですよ。 円谷英二って人は、偉大ですよね。」
岡田くん
  「うーん、そうか・・・
  じゃ、狙ってたわけじゃないんですね。」
一瀬さん
  「全然、狙ってなかったですね、『リング』 のときは。」
リング [DVD]

岡田くん
  「 『リング』 大変だったんじゃないですか?
  なんか 俺、ドキュメンタリーかなんかで 観たんですよね。
  監督とか 一瀬さんとかが出てて、
  結構 キツイことを言ってるのを・・・」
一瀬さん
  「キツイことを?(笑)」
岡田くん
  「(笑)キツイことっていうか、なんか、撮影中のときとか・・・」
一瀬さん
  「『リング』 の監督の中田秀夫監督っていうのと、
  初めて 『リング』 のとき、仕事したんですけど、なんかこう、お互い 合言葉は、
  “勝負作だ” と、これが。
  勝負するって決めて 入ったんで、
  まあ、日々 怒鳴り合いながら やってましたけどね、監督と。」
岡田くん
  「うーん。 結構 なんか ケンカしながら撮ってましたね。」
一瀬さん
  「ああ、それ、事実ですね。」
岡田くん
  「それ、なんか、それを観たのかな・・・」
一瀬さん
  「撮影中はね、そうでもなかった。 僕、撮影中は、あんまり やんないんですよ。
  やっぱり、撮影現場って 戦場なので、指揮官がたくさんいるとね、みんな 混乱するんで、
  撮影現場は もう 監督のものって決めてんですけど、
  撮影 終わってから 編集やったりとか、音 付けたりって作業で、
  ホラー映画って 大きく変わるんで、ま、そこは結構 やりましたね。」
岡田くん
  「うーん。」
一瀬さん
  「でも、やって良かったなぁと思いますけどね。
  納得いくまでやれた作品ですから。」
岡田くん
  「そうですよね。 『リング』 日本シリーズ、国内では 80億。
  80億って、すごいですよね。
  全米で、1億3000万ドルの 大ヒットですから。」
ザ・リング [DVD]

一瀬さん
  「アメリカでリメイクされたのは、ほんと、棚ぼたですよ、ほんとに。」
岡田くん
  「どうだったんですか、リメイクやらせろって言われたときは。」
一瀬さん
  「いや、もう、大喜びでしたよ。
  だって、スピルバーグの会社が、自分の映画のリメイクやるとか言って、
  リメイク権ていう 権利を買ってくれるんですけど、
  それが、ま、1億円で買ってくれると。」
岡田くん
  「結構、きましたね。」
一瀬さん
  「 『リング』 って、製作費 1億5000万しか かかってないんで。」
岡田くん
  「うん。」
一瀬さん
  「1億5000万しか作ってないから、
  リメイク権 1億で買ってくれるんだと思って、みんな大喜びだったんですよ。
  でも、あとで聞いたら、彼等は、500億 儲けたって・・・(笑)」
岡田くん
  「ハハハハハ!」
一瀬さん
  「このケチ、と思って。」
岡田くん
  「もうちょっと 行けばよかったですよね。」
一瀬さん
  「まあ でも、結果論でしょ。
  だから、それがあったんで、その次 『THE JUON/呪怨』 ていうのを作ったときは、
  自分の手で作って、リメイク権を売り渡すんじゃなくって、
  自分もプロデューサーで参加して、作るって決めたんですけどね。」
THE JUON -呪怨- ディレクターズ・カットコレクターズ・エディション [DVD]

岡田くん
  「うーん、うんうん。 2週連続 1位になりましたもんね 『THE JUON/呪怨』は。
  2週連続 1位ですよ。」
一瀬さん
  「びっくりするぐらい、当たりました。」


(曲)
WILL.I.AM FEAT.HUCK FYNN/OEZLEM/HORN DOGS 『MONEY』
Future Soundtrack for America


岡田くん
  「アメリカでプロデューサーやって、どうだったんですか。」
一瀬さん
  「アメリカでプロデューサー、まあ、いまも たくさん、企画を動かしてるんですけども、
  まあ 面白いですよ。 面白いですけど、時間がかかりますよね。
  すごく、やっぱり その、脚本つくるのも やっぱり、2年3年、平気でかかりますし。
  まあ、日本でも、僕は 割と かける方ですけど。」
岡田くん
  「日本は もっと、かけなきゃだめな・・・」
一瀬さん
  「ねぇ! 脚本 練ったほうがいいですよね。」
岡田くん
  「もう・・・あっ、うん。
  まあ、あんまり言えないな・・・」
一瀬さん
  「アハハハハ! なんかある・・・」
岡田くん
  「怒られちゃう・・・」
一瀬さん
  「(笑)」
岡田くん
  「いや、でも、時間をかけなさ過ぎですよね、日本は。」
一瀬さん
  「いや、時間をかけなさ過ぎ。」
岡田くん
  「それは まあ、いろんな条件があるんですけど。」
一瀬さん
  「日本の場合、だいたい、公開が もう、決まってて(笑)」
岡田くん
  「うーん。」
一瀬さん
  「この役者さん、ここしか空いてないよ(笑)って言われ・・・」
岡田くん
  「そうなんですねえ。
  事務所が強くなる。 アハハハ!」
一瀬さん
  「それまでに、脚本つくるみたいな。」
岡田くん
  「でもね、そう、やって行けないと、
  いいもの、なかなか出来ない時代に なって来てますからね。
  やっぱり、時間をかけないと・・・」
一瀬さん
  「だめですね。」
岡田くん
  「ちょっと、いいものが出来なくなるっていう 時代が来てるので、
  そこを ちょっと、なんとかして行かないと・・・難しい時代がね。
  大きいものは作れなくなりますよね。」
一瀬さん
  「いや、ほんとそうですよ。」
岡田くん
  「パッパーっと、ちょっとこう・・・」
一瀬さん
  「でも、いまの危ないところは、
  中身がどんなであれ、当たったりするので、
  これが やっぱり、作り手の・・・」
岡田くん
  「そこは、なんとも言えないですけども・・・」
一瀬さん
  「作り手のモチベーションをね。」
岡田くん
  「そうですよね。」
一瀬さん
  「下げちゃってますよね。」
岡田くん
  「うーん・・・でも、あれですよね。
  えーと、6年に、20世紀フォックス社と、初めて・・・」
一瀬さん
  「“ファースト・ルック・ディール” って。
  でも、この間 切れたんですよ、それ。」
岡田くん
  「あっ、ほんとですか。」
一瀬さん
  「3年契約だったんで、終わりってことで。」
岡田くん
  「なんか・・・」
一瀬さん
  「アメリカも、もう いま ものすごい、映画界も不況で、
  ファースト・ルック・ディールみたいなものが、ちょっと、いま もう、
  見直しの時期に来ていて。」
岡田くん
  「うーん。」
一瀬さん
  「まあ いまも、ちょっと、他のスタジオから、話いただいたりもしてるんですけど、
  なかなか決まらないですね。」
岡田くん
  「ファースト・ルック・ディール って、そもそも なんですか?」
一瀬さん
  「これはね、えっと、お金くれるんですよ。
  お金くれて、でも、そのお金で遊んでちゃいけなくて、
  そのお金で、映画を企画するスタッフとかを雇って、いっぱい 映画を企画して、
  20世紀フォックスとの契約だったら 20世紀フォックスに、
  最初に 持ってかなきゃいけないんですよ、企画したものを。」
岡田くん
  「企画書を。 はい。」
一瀬さん
  「で、彼等が やりたいと言えば、彼等とやんなきゃいけないし、
  彼等が やりたくないと言えば、他の会社へ持って行っていいっていう、
  青田買いみたいなもんですね。 それが、ファースト・ルック・ディール。」
岡田くん
  「とりあえず、うちに持って・・・絶対 最初に持って来いよっていう、お金を渡す。」
一瀬さん
  「そうですね、そうです。」
岡田くん
  「うーん・・・  
  まあ なんか、いま、プロデューサーっていうのは、なんだと思ってますか。」
一瀬さん
  「いまは?」
岡田くん
  「うん。 いま、プロデューサーっていうものを、例えば、さっき、前半で言ってくれた、
  社長ではなくて、プロデューサーってことを 一言で言うと、
  難しいですかね。」
一瀬さん
  「クリエーターの夢をかなえてあげる職業でしょうね。」
岡田くん
  「あー・・・」
一瀬さん
  「だから そこには、優秀なクリエーターがいなきゃだめなんですよ。
  プロデューサーだけでは、映画は作れないので、やっぱり、
  優秀な監督がいて、優秀な脚本家がいて、優秀な俳優さんがいて、優秀なスタッフがいて、
  その人達の夢をかなえる、っていうことが やっぱり、仕事ですね。」
岡田くん
  「そう言われるとね、結構、引っ掛かる子 多いんじゃないでしょうかね。
  “P” プロデューサーになりたいっていうか・・・」
一瀬さん
  「うん。」
岡田くん
  「夢をかなえてあげて、力を貸すけど、まあ いろんな、
  人を見て行かなきゃいけない仕事だと・・・」
一瀬さん
  「いや、足りてないんですよ、プロデューサーがね、日本は。
  ほんとに、少ないので。」
岡田くん
  「そうですね。 インディペンデントは 特に、なかなかね。」
一瀬さん
  「だから、これを聴いてる方に、ぜひ、プロデューサーを目指してもらいたいなと。」
岡田くん
  「いまのハリウッドには、その環境ってありますか。」
一瀬さん
  「アメリカは もう、ほんとに自由な国なので、
  才能を認めさせることさえ出来れば、もう みんなが買いに来ますから、
  だから、そのためにはね、もちろん、すごい努力をしなきゃいけないけれども。」
岡田くん
  「日本で、インディペンデントでいるっていうのって、すごく大変じゃないですか。」
一瀬さん
  「うーん、僕は でも 逆に、会社には入れないですからね。
  会社員とか、絶対できないんで。」
岡田くん
  「喧嘩しちゃうから・・・(笑)」
一瀬さん
  「絶対できない(笑)
  だから、僕は、インディペンデント・プロデューサーでいる方が、楽ですけどね。
  自分は それしか出来ないので。」
岡田くん
  「戦えるヤツは、インディペンデントでいろ! ってことですよね。」
一瀬さん
  「うん、そうです、ええ。
  でも、プロデューサーやるってことは、戦うってことですからね。」


(曲)
SHONTELLE 『BATTLE CRY』
Shontelligence



(対談が終わって、岡田くんの感想)

「ということで、一瀬さんと お話をさせていただきました。
えーとねえ、うーん、そうですね、
やっぱ、戦う人ですよね、プロデューサーって、って やっぱり思いました。

あの・・・なんだろう、どんどん、戦うプロデューサーっていうのを、こう。
まあ、映画業界だけじゃなくて、戦えない世の中になって行くじゃないですか、世の中自体が。
やっぱ 逆らえないとか 戦えないとか、いい人でいなきゃいけないとか、
わかんないけど、なんかこう、違うことを言っちゃいけないとか、
押し殺すのが美学だとか。 日本て やっぱ、あるわけですよね。
でも、海外って、結構、言っちゃうんですよね。
戦うんですよね。自己主張とか。
それで、受け入れられなかったら、受け入れられなかったで、しょうがねえよ、
みたいなとこもあるんだけど、日本て やっぱ 美学があるから。
自分の気持ちを押し殺すとか。
全部、言やあいいってもんじゃないですけど、押し殺す中でも、
バランスをね、上手く取れる人間が、育って行かなきゃいけないんでしょうけど。

やっぱ でも、なんとなく 戦えない世の中になって来てる気がするんですよね、僕は、
日本ていう国が。
だから、ちょっと尖ったこと言うと、文句 言われたりとか、
うーん、いろんなことも あると思うんですね。
ニュース見て、ちょっと失言したら、スッゲー怒られるみたいな。
辞めろっていわれちゃった! みたいな、そういうのね、
やっぱ、出て来ると思うんですよ(笑)
そこまでの問題? みたいな。 わかんないけど。
僕は、見てて、そう思うときがあるんですね。 世論とかで。
そんなこと言ったら、ふざけんな! つって怒られちゃうかもしんないから、あの・・・
そう思ったらごめんなさい、って先 言っときますけど、

あの、でもこう、戦うのが仕事ってね・・・ていうか、なんだろう、
映画プロデューサーだけじゃなくても、なんかちょっと、
戦い易い世の中になればいいなぁと思いますけどね。
バランスも考えずに発言するのは、良くないですけど。
なんか、ものを作る人達が、戦える場所とか、戦える環境 整えたいっていうのが、
僕は やっぱ、プロデューサーになりたい 理由の一つなので。
ていうのは、すごく思いますね。
戦いたいよね。 アハハハハ!
今日一日、頑張りましょう、みなさん(笑)」


(曲)
NEW RADICALS 『YOU GET WHAT YOU GIVE』
You Get What You Give



(一瀬さんからの コメント)

「まあ、日本の やっぱり マーケットは、もう どんどん小さくなって来ると、僕は思うので、
やっぱり、世界に出て行ける日本映画というのを、
みんなが作ってくれるように なってほしいなと思いますね。
だからそれは、ひょっとしたら、英語で作らなきゃいけないのかもしれないですけども、
まあ なんであれ、世界の人に観てもらえる日本映画というのを、
みんなが作ってく時代が来てほしいなぁと。
そのためには、
若いクリエーター、プロデューサーが、どんどん出て来ないと、ダメだとも思いますけども。
そんな時代が来てほしいなと思ってます。」

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