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2009/08/02 on air  「支えあうって どういうことですか?」                 (guest) 細川佳代子さん


花も花なれ、人も人なれ  ――ボランティアの私



花も花なれ、人も人なれ ――ボランティアの私


細川 佳代子



(オープニング)

「こんばんは、岡田准一です。 今夜も始まりました 『Growing Reed』
この番組では、毎週一つのテーマの専門家をお呼びして、徹底的に質問。
番組の終わりには “考える葦” として、
僕も、みなさんと一緒に、成長したいと思っています。

えー、今夜のゲストは、なんと、元ファーストレディーの方です。
第79代 内閣総理大臣 細川護煕さんの奥様で、
いまは、ボランティア活動に力を入れてらっしゃる、細川佳代子さんです。

細川さんは、上智大学英文科卒業後、日本企業の駐在員として ヨーロッパに渡り、
その後、細川護煕さんと結婚。 政治活動を支えました。
その一方で、ボランティア活動に積極的に取り組み、
1994年、特定非営利活動法人 『スペシャルオリンピックス日本』 を設立。
現在は、名誉会長でいらっしゃいます。

スペシャルオリンピックスというのは、みなさん ご存知でしょうか?
知的発達障害のある人達に、様々なスポーツトレーニングと、
その成果の発表の場でもある 競技会を提供する、国際的なスポーツ組織だそうです。
日本ではですね、2005年2月 長野市で、
スペシャルオリンピックス冬季世界大会が開催されました。
いったい どんな大会だったのか、興味深いですよね。

細川さんは、他にも いろんなことをやってらっしゃいまして、
スペシャルオリンピックス独自の競技である、フロアホッケーを普及するための、
『日本フロアホッケー連盟』 会長。
途上国の子どもたちにワクチンをおくる、
NPO法人 『世界の子どもにワクチンを日本委員会』 理事長。
知的発達障害のある青年たちを追ったドキュメンタリー映画を制作する 『ableの会』 代表。
『500万人トーチラン委員会』 委員長。
『勇気の翼インクルージョン2015』 理事長 と、
まさに、八面六臂の活躍の スーパーウーマンです。

細川元総理を支え、人と人とが支え合う活動に身を捧げている 細川さんに、今日は、
“支え合うって どういうことですか?” というテーマで、お話を お聞きしたいと思います。

J-WAVE 『Growing Reed』
新しい一週間、最初の60分。 ぜひ、一緒にお付き合いください。」



(岡田くんの 曲紹介)
「来て、必ず あなたを守るから。
何もかもが 目まぐるしく過ぎる、この星空の下。 抱き締めれば、きっと伝わる。
NATALIE IMBRUGLIA 『BE WITH YOU』 」
グロリアス:シングルズ97-07



岡田くん
  「ちょっと、やっぱり、違いますよね、奥様は。」
細川さん
  「え? わたくしが? え、わたくしは、普通の 並みの・・・」
岡田くん
  「いや、いや、いや!」
細川さん
  「並みの人間でございます。」
岡田くん
  「なんかね、やっぱねえ、こう、やっぱ 僕の周りとか そうですけど、例えば 雑誌の方とかも、
  やっぱり、その、佳代子さんに、お話をお聞きしたいとか、
  やっぱりこう、ファーストレディーとして、こう、なんだろう、
  やっぱねえ、そういうオーラがありますよね。」
細川さん
  「そうですか? いや、いや、ファーストレディーは、たまたま なっちゃったんですよ(笑)
  青天の霹靂で。」
岡田くん
  「(笑)いや、そうなんですよね。」
細川さん
  「は~い、なっちゃっただけの話で(笑)」
岡田くん
  「自伝て言っていいんですかね、自分の人生を記したものっていうんですかね・・・」
細川さん
  「はい、はい。」
岡田くん
  「 『花も花なれ、人も人なれ』 っていう本を出されましたけど、
  これ、なんで、このタイトルに されたんですか?」
細川さん
  「うーん・・・結構わたくしは、あの “細川ガラシャ” って、ご先祖なんですけども、
  ガラシャ夫人と、すごい 縁が深くって、
  彼女の生き様っていうか、人生に、ものすごく影響を受けてるんですよね。」
岡田くん
  「なんか、声、聞いたとか。」
細川さん
  「うん。 聞こえない声を聞いたんですね。」
岡田くん
  「聞こえない声を聞いたとかっていうのを・・・」
細川さん
  「それは、結婚して 熊本に住んで、住んでる その家の、わたくしの寝室、窓開けると、
  目の前が、細川ガラシャ夫人の 御廟なんです。 屋根。
  御廟っていうのはね、お墓石がね、お家の中に入ってるのね。
  一軒のお家みたいな屋根があるのね、立派な。 その屋根が、目の前に見えるわけ。」
岡田くん
  「うーん。」
細川さん
  「そこで生活したわけです。 もう、20数年ね。
  で、そこに毎日ね、通うっていうか、そこに、いつも ちょっと お参りに行けるわけでしょ。
  すぐ、もう 歩いて何歩かだからね。」
岡田くん
  「うん。」
細川さん
  「最初は もう、
  気の毒に。 現代に生まれていたら、あんなに不幸な人生に ならなかったのに。
  あんな時代にね、生まれて、さぞかし きつかっただろうって、
  わたくしは、そういう思いでね、いたわけよね。」
岡田くん
  「はい。」
細川さん
  「そしたら・・・全然 違う声が聞こえちゃったわけよね。 心にね。」
岡田くん
  「ガラシャさんから・・・」
細川さん
  「ガラシャさんからねぇ。
  『いや、私は最高に幸せだった』 と。
  たしかに、37年ていう年月はねえ、言ったら、いまの、
  85歳ですか? 平均年齢、女性は。 比べたら・・・」
岡田くん
  「若い・・・」
細川さん
  「たしかに 若くてね、短いかもしれないけど。」
岡田くん
  「まあ、なんか、最後は自分でというか。 まあ、側近の人に、自分を殺させて・・・」
細川さん
  「そう。 胸を突かさせて、薙刀で。 そして、死を選んだわけでしょ。」
岡田くん
  「はい。」
細川さん
  「でもね、もう、ほんとに満足してると。 生き切ったと。」
岡田くん
  「死を選んだけれと、生き切ったと。」
細川さん
  「生き切ってね、なんの後悔もないと。」
岡田くん
  「そのときの、辞世の句っていうんですかね。」
細川さん
  「そのときにね、うん、辞世の句で詠んだ和歌が、
  『ちりぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ』
  これはもう、おまかせよね、全てね。
  そういう、もう、あるがままを受け入れている、彼女の、その、本当に、
  生き切った人ならではの、自然の思いが そこに出てて、
  すごい人だなあ!って、もう、
  『なに、あなたは やってんの?』 って、逆に、叱咤激励されちゃったわけですよ。」
岡田くん
  「それで、自分も・・・」
細川さん
  「ただ、漫然と生きるのは、もう、生きたことにならないと。」
岡田くん
  「うん。」
細川さん
  「もう、平凡に生きるのがいいなんて、そうじゃないと。
  もう、あらゆる、すべてを受け入れて、あるがままを受け入れて、
  そして、自分なりに一生懸命、もう、命を燃やして生きることが、どんなに大事か。」
岡田くん
  「いやぁ・・・ご夫婦。」
細川さん
  「はい。」
岡田くん
  「護煕さんを見たときに、
  先日、陶器の個展をやっていて、そこに僕が観に行って、そこで お会いしたときに、
  あの、失礼な言い方かもしれないですけど、
  面白い オッサンだな と思ったんですよ。」
細川さん
  「(笑)」
岡田くん
  「あの(笑)一国のね、一国の首相をやってる人に、言うことじゃないんですけど。」
細川さん
  「いや、いいです(笑)全然 かまわない。」
岡田くん
  「ちょっと 話しを聞いたら、
  なんて自由に生きて、自由に やりたいことをやって・・・」
細川さん
  「うん、そうですよ。」
岡田くん
  「それに こだわれて。 ほんと、カッコいい、面白いオッサンだなーと思ったんですよ。」
細川さん
  「そうなんですよ。」
岡田くん
  「で、いいもの作ってて。」
細川さん
  「へぇー。」
岡田くん
  「奥様にも、やっぱ 思うわけですよ。 自分の生き方を見つけてる。」
細川さん
  「はい。 それは もう、最高の幸せだと思います。
  自分の生きる道っていうものを、明確に掴んで、その道 まっしぐら。」
岡田くん
  「そうですよねえ。」
細川さん
  「毎日、生かされているっていうことは、もう、最高の幸せだと思います。」
岡田くん
  「うん、なんか そんな感じがするんですよ、お二人とも。
  それ、いつからですか? 『私、生きてる!』 って・・・」
細川さん
  「えっとねえ、たぶんねえ、自分では覚えてないけど、
  そういう感覚を、自分で体験したのは、たぶん、一歳だと思う。」
岡田くん
  「というのは・・・一歳の感覚って、覚えてないですよね。」
細川さん
  「(笑)覚えてないわよ、わたくしも。
  だけどね、たまたま なんかのときに、もう とっくの昔に亡くなった、私の母なんですけど。
  あの、わたくしは、すっごい活発に活動するんですよね。
  いろんな ユニークなことを、ずっと 小さい頃からしてました。
  で、あるとき、しみじみと 『あなたはね、一歳の時から そうだったのよ』 って言われて、
  ええっ? 一歳の時 何したの? って聞きましたら、
  毎朝 起きるとね、まだ 歩けないのに ハイハイして、隣の家を訪問して、雨戸を叩いて、
  『ジジババ、ジジババ』 って、叫ぶんですって。」
岡田くん
  「はい、はい。」
細川さん
  「と、そこの家の おじいさんが、雨戸を開けて 『おはよう! カウボーイ、起きたね』
  って言って、抱きかかえて、家の中に入れてくれると、
  わたくしは、一目散にハイハイして、おばあさんの寝床に飛び込んで行く。
  そこで、おばあさんと、ひとしきり 楽しい時間を、お布団の中で過ごす。
  これが、わたくしのボランティア活動の始まりだったらしいんですね。」
岡田くん
  「うーん。」
細川さん
  「それがね、おばあさんは、重度のリウマチで 寝たきりなんですよ。
  で、子供がいないから、おじいさんは 一人で介護をし、おばあさんの介護をし、
  家事も全部、おじいさんがしてたという、老夫婦の家だったんですよ。
  そこに、珍しく、わたくしが。
  我が家が引っ越して来て、最初のとき、わたくしが赤ん坊だから 抱いて、
  きっと、母が、ご挨拶に行ったんだと思います。 隣に引っ越してきました、よろしく って。
  そのときに、おばあさんの お布団で、遊んだんだと思う。
  これは楽しい! と思ったんだと思うんです、わたくし。」
岡田くん
  「一歳のときに。」
細川さん
  「ええ。 だから、朝 起きると・・・」
岡田くん
  「そこに行くわけですね。」
細川さん
  「隣の おばあちゃんのお布団に向かって、出かけてったんですね。
  そういう、なんか、人が喜ぶ・・・」
岡田くん
  「だけど、その、おじいちゃん おばあちゃんにとっては、すごく こう、喜びと・・・」
細川さん
  「そうです、唯一の訪問者。」
岡田くん
  「訪問と、それでこう・・・」
細川さん
  「待っててくれたんです。」
岡田くん
  「“人が喜ぶ” っていうことが基本ですか?」
細川さん
  「そうですね。」
岡田くん
  「そこでの苦労って無いですか?
  ボランティアをされてて 『そんなの、こっち 願ってないわよ!』 って言う方も、
  もしかしたら、いるかもしれないですか。」
細川さん
  「いるかもしれない。 だからね、ボランティアの押し売りっていうか 押し付けは、
  絶対に良くないわよね。 それはね、悪魔でなく、善魔っていうんですよ。」
岡田くん
  「善魔とは、どういうことですか?」
細川さん
  「善なる。 悪に対して、善悪の善ですね。」
岡田くん
  「あ、はい、はい。」
細川さん
  「“善い” 悪魔の “魔” なんです。」
岡田くん
  「あー。」
細川さん
  「善いことをしてるからっていって、どんどん押し付けて、これだけ 私は やってるのよ! って、
  どんどん、いいことだからといって、人のことも考えずに、相手の立場も見ずに、
  いいことだからって、どんどん押し付けて行くっていうのは、かえって、その人に、
  相手にとっては、ものすごい負担で、圧迫になる。 だけど、本人は気づかない。
  こんなに素晴らしい いいことをやってる って。
  それ、善魔っていうんですって。」
岡田くん
  「へえー。 善魔になっちゃいけないってことですね。」
細川さん
  「(笑)善魔になっちゃいけないわけよね。 そこが難しい。」


(曲)
ELVIS COSTELLO 『DEEP DARK TRUTHFUL MIRROR』
Spike


岡田くん
  「子供の頃、波乗り少女だったっていうのを・・・情報がありますが。」
細川さん
  「はい。 その一歳のとき 引っ越した先が、藤沢市 鵠沼海岸ていうとこだったんです。」
岡田くん
  「鵠沼で。」
細川さん 
  「はい。 もう、歩いて数分で、海に飛び込めたので、泳ぐだけじゃ面白くなくなって、
  中学の頃から、波乗りを始めたんです。」
岡田くん
  「じゃあ、もう、イケイケなかんじ だったんですかね。」
細川さん
  「そうですね。」
岡田くん
  「アハハハ! 『そうですね』(笑) イケイケでしたか?」
細川さん
  「はい。 と思います。」
岡田くん
  「上品なかんじは、なんでですか? それは、家系ですかね。」
細川さん
  「いや、そうですか? 一見、上品に見えますか?」
岡田くん
  「いや、見えます、見えます。」
細川さん
  「そうですか。 いや、実は、もう この上ない無謀と おてんばの限りをしました、はい。」
岡田くん
  「若い頃は。」
細川さん
  「ええ。 だから、子供の頃から そんな感じで、波乗りも、命懸けで 波に乗ってました。
  二度ぐらい、死ぬと思いました。」
岡田くん
  「アハハハ。 で、上智大学に行かれて。」
細川さん
  「はい。」
岡田くん
  「それで、卒業後、日本企業のヨーロッパ駐在員。」
細川さん
  「はい。」
岡田くん
  「一人で行かれたんですね。」
細川さん
  「そうです。 それも イケイケで(笑) 無謀 この上ない。」
岡田くん
  「その当時 つったら、結構 すごいですね。」
細川さん
  「そうですね、正確に 何年前だろう。 42、3 年前ですね。 まだ、あの・・・」
岡田くん
  「女性で、行ってるっていうのは・・・」
細川さん
  「もちろん、いません。」
岡田くん
  「いないですよね。」
細川さん
  「日本企業で、女性を選んで、駐在員で海外に出すなんていうことは、考えられない時代だし、
  1ドルが360円ていう時代で、海外に行くたびに規制があって、
  日銀に ちゃんと申請出さないと、お金は貰えないっていう時代で、ドルが。
  そんなときに、女性の社員をヨーロッパに、しかも単独ですよ。」
岡田くん
  「うーん。」
細川さん
  「向こうのエージェントで働くんですけども、
  たった一人で、誰も知り合いないところに、出されたんです。」
岡田くん
  「それは、なんでそんな・・・あれですか。 やっぱ、その、信用があったから・・・」
細川さん
  「非常にユニークな、面白い社長だったんです。 社長のアイディアで。
  そこに、ユニークな私が、ちょうど出会ったために、
  『お前、行け!』 ってことになって、
  『はーい!』 って言って、あの(笑)受けちゃった。」
岡田くん
  「(笑)受けちゃった。」
細川さん
  「23歳のとき。」
岡田くん
  「23のときに。」
細川さん
  「しかも、いまみたいに、バイリンガルならわかるけど、
  普通の、大学出たぐらいの程度の英語力しかなくて。」
岡田くん
  「普通、でも、怖いっつって、行かなかったりしますよね。」
細川さん
  「まあ、そうですよね。 それが 常識的ですよね。
   断るのが常識ですけど、喜んで受けちゃった。」
岡田くん
  「ヨーロッパで、どんなこと、あったんですか?」
細川さん
  「ですから、会社の商品を 売り込む仕事でしたけど。」
岡田くん
  「結構、売れましたか。」
細川さん
  「え、それが、全部 失敗だったんですけど、
  でも、わたくしの責任じゃなくて、商品が悪かったんですけど(笑)」
岡田くん
  「アハハハハハ!」
細川さん
  「ハハハハ!」
岡田くん
  「そういうかんじですね(笑)」
細川さん
  「はい(笑)そこまで しゃべっちゃうと、きりがないから(笑)その時代の話は。」
岡田くん
  「アハハハ。 はい。」
細川さん
  「でも、必死で、男に負けられないと思って、男性の5倍ぐらい働きました。」
岡田くん
  「やぁ、だから、すごいなあって。 そういうとこも、そうですけど、例えば、
  護煕さんと結婚されるにしても、細川家って、だって、代々 もう、続いて来てるじゃないですか。
  長いですよね。 他に無いですよね。」
細川さん
  「そうですね。 南北朝の頃から ずうっと、すべての戦に、ほとんど かかわっている、
  そういう武家では、唯一ですね。」
岡田くん
  「そこに嫁ぐとなったら、ま、普通は ちょっと、考えるというか、大変だよなと。
  格式もあるだろうし もう、ていうのは なかったんですか?」
細川さん
  「親は、心配しました。」
岡田くん
  「そうですよね。
  普通、そんな長い、武家の いいとことに行くと、もう なんか、大変だよ! と。
  覚悟しろよ ってなるわけじゃないですか。」
細川さん
  「親はね、ビビってましたけどね。
  わたくしは、もう、全然ビビりませんでした(笑)」
岡田くん
  「普通、基本思想って、どういう・・・
  『なんとかなるや』 なんですか? それとも、なんだろう、
  生き方の中で、この言葉を大事にして生きて来たとか。」
細川さん
  「うん。 あの、そもそも、細川家の歴史 あんまりよく知らなかった・・・」
岡田くん
  「(笑)そっち・・・そっちッスか。」
細川さん
  「(笑)」
岡田くん
  「あ、そっちだ(笑)」
細川さん
  「いまんなって、もう、しみじみと、すっごい家だ と。 その重さが・・・」
岡田くん
  「知れば知るほど。」
細川さん
  「年々、知れば知るほど、重さが わかって来るけど、
  当時は、高校の歴史の時間に習った、細川幽斎、忠興、ガラシャ夫人ぐらいしか知らなくて、
  そんなの 昔の話で、今は関係ない、
  時代は全然違うんだと思って、あっけらかんとしてましたね。」
岡田くん
  「はい、はい。」
細川さん
  「ただね、細川ガラシャに関しては、ものすごく憧れてましたから、
  高校2年のときに、細川ガラシャの劇を 演じたんですよね。」
岡田くん
  「あ、ご自分で?」
細川さん
  「はい。 わたくしは、総監督で。」
岡田くん
  「ガラシャ役は・・・」
細川さん
  「ガラシャ役は、別の人にしてもらって、わたくしは、侍女の清原マリヤというね、
  ガラシャ夫人を支えて、信仰の話をして、キリスト教を伝えた侍女の役目をしたんですけどね。
  その頃から、細川ガラシャには、なんか 縁があったんですよ。
  まさか、将来その家に お嫁に行くなんていうのは、もう、夢にも思ってませんでしたよ。
  17歳のときは。」
岡田くん
  「なんか、この言葉を大事にして生きて来たとかっていうのは、あるんですか?」
細川さん
  「それはね、小学校の5年のときに、
  わたくし、キリスト教の学校、カトリックの学校、
  あの近くに、湘南白百合学園てありましたから、女の子ばっかりの。
  カトリックの学校ですから、愛とか奉仕なんですよ、キリスト教の精神はね。
  だから 『全ての人を愛しなさい』
  そして、私、一度 喧嘩して、すっごい 心がもう、重ーくなって、
  いやーな思いをしたことがあって、苦しんだことが、小学校3年のときにあったんですよ。
  で、それを ずうっと引きずってたんですけど、5年のときに、
  『自分を愛すると同じように、人も愛さなくてはいけない』 っていうのを、
  “隣人愛” っていうのを、先生から、その、マッスールから、教えていただいて、
  あっ、そうか! それは よくない。 もう、絶対に、自分だけ苦しいのかと思ってたけど、
  そのとき、相手も同じように苦しんでたっていうことに、気付いたんですね。」
岡田くん
  「うーん。」
細川さん
  「だから、自分だけ傷付くなんてことは ないんだと。
  やっぱり、こちらが辛い思いをしたときは、
  必ず、相手も 辛い思いをしてるんだということに、初めて気付いて、
  二度と、喧嘩はしまいと 決意したんです。」
岡田くん
  「ほぉ、それから、してないと。」
細川さん
  「それから、二度と 喧嘩しなかった。」
岡田くん
  「ダンナさんとも、しないですか。」
細川さん
  「あ~・・・それは、ちょっと別ですけど(笑)」
岡田くん
  「アハハハハハ!」


(曲)
SHANICE 『I LOVE YOUR SMILE』
Inner Child


岡田くん
  「支えるって、どういうことですか? どういうふうに支えるんですか。
  僕、それを ちょっと聞きたいんです。」
細川さん
  「ああ、そうですか。」
岡田くん
  「人を支えるって、どうやって支えればいいんですか。」
細川さん
  「それはね、具体的にね、
  夫の場合 政治家ですから、じゃ、政治家であったら、何が一番 大事かっていうと、
  選挙に勝たないといけないっていうことです。」
岡田くん
  「うーん。」
細川さん
  「選挙に負けたら、政治家じゃなくなるんです。」
岡田くん
  「はい、そうですね。 落とすわけには いかないですね。」
細川さん
  「はい。 選挙に勝つためには、どうしたらいいかなんです。
  ところが “地盤・看板・カバン” と、この三つが、絶対に必要な、
  当時は、熊本の状況だったんです。
  それ、全部 無かったんです。
  地盤が無い。 生まれも育ちも、東京。
  熊本に育ったわけではないから、友達一人 いなかったんです。
  だから、地盤が無い。 組織も、なんにも無い。
  地盤・看板・・・看板は、知名度です。」
岡田くん
  「うん。 知名度も無い。」
細川さん
  「 『昔、殿様だった 細川さん』 ていうのは、みなさん “細川さん” は知ってても、
  “細川護煕” 誰も知らない。 だから、看板が無い。
  次に、カバン。
  わかる? カバンって。」
岡田くん
  「カバンは・・・お金のことですか?」
細川さん
  「そうです。 お金が いっぱい入ったカバンです。 お金のことなんです。
  選挙に、お金がいったんです、当時は、ほんっとに凄く。
  それ、三つともなかったんです。」
岡田くん  
  「それを支えるってのは、大変ですよね。」
細川さん
  「そうです。 だから、最初は 全部・・・」
岡田くん
  「挨拶回りを、全部 自分でやって・・・」
細川さん
  「そうです。 最初の選挙のときは、独身のときにして、
  それは、全国区だったら、バックアップする 大きな団体が付いてるから いいんですけど、
  もう、6年後は、必ず 地方区から出るって決めてましたから、熊本県が選挙区ですから、
  熊本県に、地盤を作らなくちゃいけなかったわけです。
  ですから、何が出来るかっていうと、お金の無い わたくしは、
  持参金も何も無くて、嫁に来ましたから、秘書たちは、がっかりしたわけですよ。」
岡田くん
  「うん、うん。」
細川さん
  「ね。 お金の無い細川に、今度、選挙 勝つには、
  持参金がいっぱい付いた奥さんを見つけるしかないって、みんな、企んでたんですけど、
  そうはいかなくなったわけですね。
  ですから、わたくしが、何億円の持参金に代わる 地盤作りを、
  わたくしが しなくちゃいけないと思ったわけですね。」
岡田くん
  「はぁー・・・それで、お金を集めて・・・」
細川さん
  「お金は集められなかったんですけど、地盤を作ったんです。」
岡田くん
  「地盤を。」
細川さん  
  「お金は、もう、しょうがない、無い。 借金ですけど。」
岡田くん
  「すごいなあ・・・
  じゃ、もう、支えるってことは、なんだろう、相手の目標?」
細川さん
  「わたくし達の場合、そうです。
  政治家であるから、あるためには、選挙に強くなる。
  つまり、後援会っていう組織を作って、盤石の地盤を作るっていうのが、
  わたくしの やっぱり、お仕事の一つだったんです。」
岡田くん
  「なんかその、支えるっていうことが、なぜ聞いたかっていうと、
  それが、ボランティアにも繋がってるんじゃないかなぁとか、思ったんですよ。」
細川さん
  「そうです。 はい。」
岡田くん
  「その “支える” っていう理想が、明確に、相手の目標を作ってあげるのかっていうことが、
  ボランティアのことなのか、その、
  上手く繋がってんだろうなっていう気が、すごく してたので・・・」
細川さん
  「根本的なとこでは、全部 繋がるんです。
  で、なぜ それに目覚めたかっていうと “人” っていう字を考えて下さい。」
岡田くん
  「人、人は・・・はい。」
細川さん
  「こうでしょ? この つっかえ棒が無かったら、人、倒れるんですよ。」
岡田くん
  「武田鉄矢さんも、言ってましたねえ。」
細川さん
  「あ、そうなの?」
岡田くん
  「はい。」
細川さん
  「つまり、ほんとに人間て、
  私 自分で大きくなったって思うかもしれないけど、
  歩いて、ちゃんと自分で食べて、なんか出来るようになる 3歳ぐらいまでは、
  どれだけの親? 家族?」
岡田くん
  「うん。」
細川さん
  「いろんな人達に支えてもらって、大きくなったか なんですよ。
  それでね、特に、結婚したときに、
  細川家は25代、父で25代目なんですね。 約700年近い歴史があるわけですね。
  で、そのときに、25代だって話したら、
  わたくしの、やっぱり 人生の師匠であった、もう、亡くなられてますけど、
  薬師寺の、当時の高田好胤管主が、
  『佳代子さん、あなたね、25代前の先祖が、いったい何人ぐらいおられるか 知ってるか?』
  って言われたんですよ。 考えたこともない。 何人ぐらい・・・」
岡田くん
  「25代っていうと、結構ね・・・」
細川さん
  「1代で、お父さんとお母さんで 二人ですね。」
岡田くん
  「二人ですね。」
細川さん
  「私の 命の親は、二人でしょ。 二代前だと、お祖父さん お祖母さん、4人ですよね。
  3代前は、曾お祖父さん 曾お祖母さん、8人いるんですよ。
  4代前は、その倍ですから 16でしょ。 5代前は、32でしょ。
  そうやって、倍・倍・倍っていって、25代前の、曾曾曾お祖父さん お祖母さん達?
  何人だと思われますか?」
岡田くん
  「いやあ、もう、考え・・・」
細川さん
  「考えられない?」
岡田くん
  「計算、まあ・・・ねぇ。」
細川さん
  「計算、弱いですか?(笑)」
岡田くん
  「いや、3千なんぼとか・・・あれ、全然違います?」
細川さん
  「3千3百55万・・・」
岡田くん
  「3千3百・・・」
細川さん
  「4432人」
岡田くん
  「あ、5万!(笑)
  そっかあ・・・3千・・・万に行くんですね。」
細川さん
  「はい。 3355万4432人なんですって。」
岡田くん
  「ほぉ・・・」
細川さん
  「それ聞いたときに、わたくしは もう、震えたのよ。」
岡田くん
  「うーん。 そんだけの人があって、自分がある・・・」
細川さん
  「どれっだけの命? 先祖の命が 私の命となって、いま こうやって私は、たまたま奇跡的に、
  命を貰って生きているという、私の存在は、私一人の命じゃないって、気付かせてもらったの。」
岡田くん
  「うーん。」
細川さん
  「一人の命じゃないんですよ。 どれだけ重くて意味があるかって事に 震えたんですね。
  それと同時に、なあんだ、じゃあ みんな親戚だって、気が付いたんです。」
岡田くん
  「うーん、うん。」
細川さん
  「みんな、親戚なんですよ。 だから、何か 人が喜んでもらえそうだなって、
  あ、このままじゃ可哀想だなって思ったら すぐに、なんかこう、行動したくなる、
  そういう性格になって行ってしまった。
  ただ、大学のときは もう、生活費というか、お小遣い稼ぐために、
  アルバイトに夢中になりましたから、それどこじゃなかったんですけど(笑)」
岡田くん
  「ものすごく活動的ですよね。」
細川さん
  「(笑)」
岡田くん
  「言われ・・・怒られないですか?」
細川さん
  「は?」
岡田くん
  「護煕さんに 『ちょっと お前、ボランティアもいいけど、うちも ちゃんとやれよ』 とか。」
細川さん
  「あー、もうあの、うーん だから・・・・」
岡田くん
  「それは、両立しない人って多い、って聞くんです。
  『ボランティアやりたいけど、うちのことも ダンナは求めるし、
  なんかもう、ちゃんと出来ないんだよね~』 って。」
細川さん
  「そうですよね、だから 政治家の間はね、ボランティアは、
  細川に役に立つようなボランティアをしました。」
岡田くん
  「はぁー。」
細川さん
  「だから、ほったらかしにして、全然別のことじゃなくって、自民党婦人部の部長になりまして、
  そして、ものすごいボランティア活動をしたんです、その会で。」
岡田くん
  「はぁー。 例えば、何を。」
細川さん
  「ですから そこで、例えば、中国残留孤児を育てた養父母の人達、みんな 歳とっていく。
  で、一番お世話になったのは 養父母でしょ。 だから、この人達、無視しちゃいけないと。  
  だから、まだ生きている間に 『日本人みんなが感謝してますよ』 って、
  『ありがとう』 っていう気持ちを伝えたいっていう活動を、ある団体が始めたんです。  
  それを知って、東京のかた なんですけど、
  ああそうだ 素晴らしい! と思って、お手伝いさせてください! って言って、すぐ、熊本で。」
岡田くん
  「政治の こう、繋がってるボランティアを・・・」
細川さん
  「ま、繋がってるっていうか、その、自民党婦人部が、
  衣替えして、ボランティア団体にしちゃったんです。」
岡田くん
  「うーん。」
細川さん
  「そして、女が もっと政治に目覚めて、時事問題とかそういうものに、
  もっと ちゃんと勉強しなくちゃ、 賢い主婦になろう、っていう、そういう活動をしながら、
  研修をしながら、ボランティア活動もして、
  地元の きれいな湖があるんですけど、そこに、ゴミだらけになっているのを清掃したりとか、
  そういう、地域に根ざした活動をしてたんです。」


(曲)
QUEEN 『I CAN'T LIVE WITH YOU』
Innuendo


岡田くん
  「護煕さんは、佳代子さんのことを、めっちゃ好きだと思いますよ。」
細川さん
  「(笑)なに、突然!」
岡田くん
  「(笑)めっちゃ愛してるんだろうなぁと思ったんですよ。」
細川さん
  「(笑)突然、何を言い出すの!(笑)」
岡田くん
  「これは、勝手な勘ですけども、護煕さんは ほんとに奥様のこと、大好きなんだなぁって・・・」
細川さん
  「そうかなあ・・・」
岡田くん
  「それは、思ったんですけどね。」
細川さん
  「いま、かわいそうよ。 全然 ほったらかしよ。」
岡田くん
  「(笑)」
細川さん
  「月に一回ぐらいしか、家に帰ってあげないもん。」
岡田くん
  「それは、何でですか? 距離が必要なんですか。」
細川さん
  「だって、彼は 湯河原に住んでるでしょ。 で、もう 夢中で作品づくりしてるでしょ。
  事務所も全部、湯河原に移ってしまって、東京に、何の拠点もないでしょ。
  で、わたくしは、この活動してると、忙しいから、
  もう、羽田とか東京駅が中心ですから、そっから動き回ってますから、
  湯河原から動いてたんでは、ものすごい時間がかかって大変ですので、   
  一番便利な都心に住んでるんですね。 娘たちと おんなじマンションにね。」
岡田くん
  「その距離感が、いいんですかね。」
細川さん
  「うん。」
岡田くん
  「でも、なんかもう、僕は感じます。」
細川さん
  「だから、電話は、もう しょっちゅう連絡 取り合ってますよ。」
岡田くん
  「ほんとに、好きなんだろうなって思うんです。その、
  奥さんを自由に・・・」
細川さん
  「歳が歳ですからね、あの(笑)もう、そんな 好きだ嫌いだっていうの・・・(笑)」
岡田くん
  「(笑)失礼なね、ことかもしれないですけど。 いや、大切なんだろうな と。
  ほんとに、奥さんが 好きなことをやってるのが、自分の幸せだろうし。」
細川さん
  「あ、お互い、そう思ってます。 それは、そうです。
  ただ、ひどい年があったんですね、世界大会 開いたとき。
  スペシャルオリンピックスの世界大会。」
岡田くん
  「2005年ですね。」
細川さん
  「はい。 あの一年間ていうのは、もう、死ぬんじゃないかと。
  私、このまま もしかしたら 死ぬかもしれないと思うぐらいに 忙しかったんですけど、
  さすがに そのときは、体壊したら 何にもならないんだ と。
  いくらボランティアでも、いくら いいことでも、
  自分の体壊したら 何にもならないって、何度か注意 受けたんですね。」
岡田くん
  「ほぉー。」
細川さん
  「でも、それ以外は、やめろ って言ったことは、ありませんね。」


岡田くん
  「 『500万人トーチラン』 ていうのを やられてますよね。」
細川さん
  「はい。 もう、だいぶ前の話ですけど。」
岡田くん
  「これは、どういう活動だったんですか?」
細川さん
  「世界大会を開く前年に、多くの方に参加して、この大会を知ってもらって、
  そして、こんな素敵な価値観のオリンピックもあるんだっていうことを、
  多くの人に知ってもらいたいと思って、私が企画したんですね。
  で、日本中で、聖火リレーをしたんです。」
岡田くん
  「これ、やってましたよね。 僕、見たかも・・・やってましてたね。 トーチランも やったし。」
細川さん
  「はい。 日本中が知っていただけるほど、認知度は上がりませんでしたけれども、
  それでも、約500万人の方が 応援して下さってます。」
岡田くん
  「うーん。」
細川さん
  「実際に走った数は、13万人ぐらいですけどね。
  でも、沿道で応援したり、ボランティアで支えたり、それから、資金集めに協力して下さったり、
  ていう方達も入れたら、500万人は 優に超えたと思いますね。」
岡田くん
  「 『勇気の翼』 っていうのも、あるんですけど 『勇気の翼』 っていうのは・・・」
細川さん
  「いま、わたくしが、一番 新しく立ち上げた NPOで、あと、これはですね、
  2005年の世界大会の閉会式に、最後の ご挨拶をさせていただいたときに、
  『みなさん、今日は 終わりではありません。 今日が始まりです』 と。
  それまで、日本の社会は、
  障害のある人達は、決して 幸せになれるような社会じゃないんですね。」
岡田くん
  「うーん。」
細川さん
  「まったく、無関心です。 障害者に対して、普通の人は。
  それでも、何の不自由もなく 暮らして行けるから、
  いつまで経っても 無関心は続いているんですね。
  で、これから、この大会そのものはね、ほんっとに 一万人のボランティアのおかげで、
  素晴らしい大会が出来たんです。 成功したんですけど、
  『本当の成果が問われるのは、10年後です』 と。
  10年後に、日本の社会が、障害者が 当たり前に、地域で遊んで、周りの人達、友達とね。
  一緒に勉強し、一緒に働いて、その人らしく 生き生きと暮らしている。
  それには 必ず、そこに 支え合いがないとだめです、助け合いが。
  それは、ものすごい温もりがある、暖かい社会なんです。
  『そういう社会が、ほんとに10年後に実現していたら、
  この大会が成功だったと言えると思います』  と。 だから、本当の成功は、まだなんだ、と。」
岡田くん
  「はあー! 支え合いを、広めたいわけですね。」
細川さん
  「そうです。」
岡田くん
  「そのためには、やはり、お金がいって、企業を動かすには・・・」
細川さん
  「活動するには、お金が・・・
  でも、まあ、今年 このね、サブプライムの 例の危機で、確かに、引締めになってますけども、
  でも、やはり この活動を、しっかり理解して下さってる企業が増えましたので、おかげで。
  その企業が、パッと撤退するってことは、今、ありません。」
岡田くん
  「うーん。」
細川さん
  「少し、額が減るとか、そういうことは あります。
  しかし、大変ありがたいことに、私達の この活動、
  すごく評価をして下さってる企業が増えてますので、
  そういう意味で、日本は変わったと思います。
  企業が 社会貢献て、必死で、いま やってます。」
岡田くん
  「やっぱ、変わりました?
  僕が感じるだけでも、だいぶ変わったなっていうのは あるんですけど。」
細川さん
  「すごい、変わりました。 ものすごい、変わりました。
  もう、90年代と、もう、信じられないほど変わりました。」
岡田くん
  「じゃ、いい方向に 変わって行ってると、思われますか。」
細川さん
  「ええ、いい方向に 変わってると思います。
  ただし、障害者への理解っていうのは、ま、非常にスローペースです。」
岡田くん
  「まあね・・・それ、スペシャルオリンピックスっていうので、やられてるんですね。」
細川さん
  「そう。 この活動が目指してるのは、それです。
  ま、活動そのものは、スポーツですよ。
  知的障害のある人達と一緒に、スポーツのトレーニングをしてくれる、
  ボランティアを探してるんです。」
岡田くん
  「うーん。」
細川さん
  「もう、その人達が みんな、すごい変わって行くんですよ!
  もちろん、本人の障害者が、どんどん元気になっていくのも、
  成長するのは、もう、目に見えてわかりますが、
  それだけでなく、かかわった人達が・・・」
岡田くん
  「変わって行く。」
細川さん
  「みんな、価値観 人生観が変わって来るんです。
  そして もう、やめられなくなるんです、彼等の魅力に。」
岡田くん
  「いいことって “こそばい” と思う人も いるじゃないですか。」
細川さん
  「はい。 日本人に多いですね。」
岡田くん
  「そういうのは、どうしたらいいんですか?」
細川さん
  「小さなことでも、思いきって やってみること。
  そしたら、自分が 余計なことを考え過ぎてたってことに気付いてくれる。」
岡田くん
  「うーん。」
細川さん
  「うん、やっぱり、体験すること、なんでもいいから。
  小さなことで いいから、いままで 『えー、ちょっと、照れくさいなあ、こそばいなあ』って
  思ってたことでも 『あっ、これなら やってもいいな』 ってことを、早く見つけて、
  実際に やってみる。
  そしたら、意外と、新たな視点ていうかな。 新たな視野が 開けて来ると思う。」
岡田くん
  「ボランティアは、どういうふうな あれで。
  わかる人に、わかってもらえれば いいんですかね。
  それとも、やる相手にとって、幸せであればいいんですかね。」
細川さん
  「いや、そのね、ボランティアとは何ぞや、なんて言うこと自体が、
  日本が、いかに貧しい国になったかって、心の。」
岡田くん
  「あらっ!」
細川さん
  「本来、ボランティア活動なんて、わざわざ しなくたって、
  人間は、人間として、人間になるには、
  人の役に立つことを喜んでするというのは、人間の 本来の本能だと、わたくしは思ってます。
  その本能を潰してしまって、隠してしまって、その、いま言う、勝ち組 負け組のように、
  とにかく、競争主義。 競争に勝たなくちゃいけない。
  そして、能力主義。 経済第一主義。
  そういう、戦後の、みんなが必死に、それが幸せだと思って、
  みんなが必死に、同じ方向に向かって 走り続けた結果、
  自分だけ良ければいい という人間ばかり作ってしまって、
  一番大切な “支え合う” っていうことを忘れてしまったから、どんな結果が起きたかっていうと、
  いま、毎日、100人近い人が、自ら命、絶ってるんです。 これ、最悪の状態。」
岡田くん
  「日本、多いですからね。 世界に比べても。」
細川さん
  「これ、戦争なんていうよりか、もっと怖いことですよ。」
岡田くん
  「自分で命を絶つ人が、多いですからね。」
細川さん
  「そうですよ。 よくね、アフガニスタンだ、やれ、この お正月からね、
  ガザの爆撃でも、今日は 民間の人 200人 亡くなったとか、
  もう、大々的に、世界中のニュースになってますけど、
  日本の方が、もっと深刻な、恐ろしい戦争が起きてるんです。」
岡田くん
  「うーん・・・そうですね。」
細川さん
  「一日 100人近い人が、亡くなって行くんですから、それ、何故ですか?
  それは、ボランティアをしなくちゃならない、なんていうようなことを言わなくちゃ、
  人のために、何か人を支えようっていうことをしない人間で、
  自分のことだけ、自分の欲望を満たすことだけしか考えないで、
  他の人のことなんて どうでもいいっていう、
  とにかく自分が勝てばいい という人間ばっかり、増えた結果なんですよ。」


(曲)
COLBIE CAILLA 『FALLIN' FOR YOU』
Breakthrough



(対談が終わって、岡田くんの感想)

「さあ、ということで、佳代子さんと お話をさせていただきましたけども、
やっぱねえ、なんかもう すごい、自分が、邪念の塊なんだなと思っちゃいますよね、もう。
真っ直ぐ生きてえなーと。
いつから オレは、真っ直ぐ、こう、ものを穿った目で見るようになったんだろう ってね、
思ってしまう、今日この頃ですけども。

でもねえ、ほんとにね、真っ直ぐに 自分の生き方とか信念とかっていうの、
もう、揺るがないかんじが、やっぱ するんですよね。
うーん、そういうの やっぱ、ねえ、護煕さんも、愛してるんだろうし(笑)
アハハ、全然、聞いたわけじゃないから、勝手に言ってますけど。
なんか、すごい 愛してるんだなっていうかんじが したんですよね、うーん。
なんか、太陽みたいなね、こう、真っ直ぐに、こう、なかんじがね、すごく 素晴らしいですよね。

まあ、これでね、たくさんの方が、
なんか、生き方を探してほしいなあって思いました。
その、ボランティアっていうのも あるのかもしれないですけど、こう、自分の生き方?
っていうのが、今回の回で、どういう生き方をすればいいんだろうとか、
そういうのが見つかる回になればいいなあ と思ってたんですけど。
いかがだったでしょうか。」


(曲)
MR.BIG 『TO BE WITH YOU』
BIG,BIGGER,BIGGEST! The Best Of MR.BIG



(細川さんからの コメント)

「いま、こういう活動してますよね。
その活動しててね、がっかりすることが多いんです。つまりね、もう、
『ええっ?・・・あなた、生きてるの!?』 って。
もう、全然、命、輝いてないんじゃない? って人が多すぎるんですよ!
もう、ただ無難に、日々 漫然と。
『ええっ? それでいいの?』 ていうような人が、あまりにも多いので、
なんかもう、ほんと なんか 悲しくなることが多い。
そういう中に、たまに、ほんとに輝いている人に会うと、
『あぁー、嬉しい!』 って思いますね。
そういう人が どんどん増えることを、いま、願ってるんです。
もう、ほんとに 命を輝かして、それは、年齢じゃないですよね。
やっぱり、ほんとに生きているっていう人が、どんどん どんどん増えてほしいって思いますね。」



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