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2009/04/05 on air 「日中関係の未来はどうなりますか?」                   (guest) 莫邦富(モー・バンフ)さん

日中はなぜわかり合えないのか (平凡社新書)



日中はなぜわかり合えないのか


莫 邦富



(オープニング)

「こんばんは、岡田准一です。今夜も始まりました 『Growing Reed』
この番組では、毎週一つのテーマの専門家をお呼びして、徹底的に質問。
番組の終わりには “考える葦” として、
僕も皆さんと一緒に成長したいと思っています。

4月になって、最初の放送ということで、
この番組も、ついに、5年目に入りました!

ありがとうございまーす。 素晴らしいですねー。
まあ、このね、こう、難しいね 番組なのに、こんなに長い間やらしてもらって、
ありがたいな、ってすごく思うんですよね。
自分自身の知識欲を埋めるっていうので、こう、始めていただいたというか。
なんかこう、“知の巨人たちに 岡田准一が挑む!” みたいなね。
“勉強しましょう!” みたいなので始めてもらって。

ね、拙いね。ほんとに、聞きたいことばっかり聞いてるだけのかんじで・・・(笑)
よく みんな、付いて来て・・・よく 聴いてくれたっていう、ね。
笑う箇所が、一か所もない回もありました。ハハハハ!
全く、何しゃべってるのか わかんない、っていうときも あったと思います。
それなのにね、よく続かしてもらって、ありがとうございます。
みなさんの おかげです。
今後とも、聴いてもらいたいなと思っています。

まあ、あらためて この4年間、振り返ってみるとですね、
日本も世界も、どんどん変わって行ったと思います。
その、大きく変わっているものの中に、日本と中国との関係があります。
中国自体が、この数年で、すごい勢いで 変わっていますからね。
当然、日本との関係も、変わって行ってます。

この番組では、最初の年に、
『日本と中国は、どうやったら仲良くできますか?』 というテーマで、
そして、昨年、北京オリンピック直前には、谷村新司さんに、
『素顔の中国を教えて下さい』 というテーマで、お話をお伺いしました。
そして、今日は、『日中関係の未来はどうなりますか?』 を、
5年目の最初のテーマにしたいと思います。

お話をお聞きするのは、
日本と中国について、冷静な視点を持ち、メディアでも、建設的な提案を多くされている、
作家でジャーナリストの莫邦富(モー・バンフ)さん。

莫邦富さんは、1953年、中国上海市生まれ。
上海外国語大学日本語学科卒業後、1985年に来日。
知日派のジャーナリストとして、政治経済から文化に至るまで、幅広い分野で活躍。
“新華僑” や “蛇頭” といった言葉を 日本に定着させたのも、莫さんです。

翻訳書 『ノーと言える中国』 がベストセラーとなり、
『日中はなぜわかり合えないのか』 が話題になりました。

J-WAVE 『Growing Reed』
新しい一週間、最初の60分。ぜひ、一緒にお付き合いください。」


(曲)
THE SHANGHAI RESTORATION PROJECT & ROOPAK & SHEN QI 『AFTERWORD』
Instrumentals






岡田くん
  「莫さんは、以前 ですね、
  『これは私が愛した日本なのか』っていう自伝を出版されましたが、
  ぶっちゃけ、いま、日本 好きですか?」
これは私が愛した日本なのか―新華僑三〇年の履歴書



莫さん
  「私、日本は好きですよ。
  まあ、そもそも、このタイトルがですね、出版社が勝手に付けたもので。」
岡田くん
  「おっ! そうなんですね。」
莫さん
  「この本は、かなり、書評などで取り上げられたのですが、
  すべての書評がですね、全部スペースを割いて、このタイトルに対する解釈とか批判とか、
  そういう いろいろ、しました。」
岡田くん  
  「(笑)」
莫さん
  「もう、中身は やはり、お読みになったかどうか わからないですが、
  中身は まあ、大抵の日本人の方が読んで下さればですね、
  結構、共感を覚えていただけるんじゃないかなと思います。」
岡田くん
  「うーん。」
莫さん
  「まあ、そもそも、私と日本との出会いから言うとですね。
  当初、私は、中国 文革中で、文化大革命時代中でですね、
  中国にいた 私達は、都会から農村に、強制移住させられて、
  中国では”下放”という言葉でですね。
  私が、飛ばされた先は、黒竜江の畔の近くだったのですが、
  ちょうど あの頃、旧ソ連と、仲が非常に悪かったので、
  毎日、国境線 見えるところに いるのですが、」
岡田くん
  「国境が見えるとこに。」
莫さん
  「そう。
  国境を越えては いけないんですね。
  特に 冬などは、川が凍結してしまうと、冬は、水が そもそも少ないし、
  こちらの岸壁に、足を力強く蹴っ飛ばせばですね、
  そのまま向こう側に 滑っていけそうな、そういう距離だったんですが、
  しかし、越えては いけないんです。」
岡田くん
  「国境 越えちゃ いけない・・・」
莫さん
  「だから、それを毎日 見ているうちに、
  やはり、国境の向こうに、もう一つの世界がある、と。
  その世界を知りたい、と。
  当時の中国は、やはり非常に、閉鎖的な国でですね、
  海外との交流は、自由にできないので、
  そうするとですね、いつかは やはり、外の世界を見たい、と。
  それが、私の、外国語に対する興味が、なぜ芽生えたのか、
  そもそも、そこに原点があるのでですね。」
岡田くん
  「へーぇ。」
莫さん
  「もう一つ、当時 私は、詩を書いていたので、
  自分では、詩を書ける時代というのは、やはり もう、感受性の豊かな 若い頃だと。
  いずれは、歳を取って来るだろうと。
  そうすると、詩は書けなくなってしまうんじゃないかな、と。
  ただ、外国語を覚えておけば、
  詩を、訳すことが出来るじゃないか、と。 生涯、訳せるじゃないか、と。
  ちょうど、1972年ですね、日中国交正常化したのですが、
  私は、その翌年の、73年の あたま頃に、一時帰省で、上海に帰ったんですよ。
  そうしたら、上海の本屋に、本が山と積まれているのが見えてですね、
  上海で初めて出来た、日本語ラジオ講座のテキストなんですよ。」
岡田くん
  「うーん!」
莫さん
  「文革中の本とはいえですね、そこに日本語 書かれているわけですね。
  五十音図というのが、アイウエオ・カキクケコなど、書いてあるわけです。
  ローマ字も入っていて。
  中国で、詩を書くと、韻を踏まなければ ならないので、
  そうすると、日本の発音、ローマ字で見ると、
  母音は、5つしかないじゃないの。
  とすると、日本人も もちろん、恋愛するでしょう。
  あるいは、ま、失恋する場合も あるだろう、と。
  岡田さんが、女性に振られたとか、女性を振ったとか、
  そういう、人間の感情は、やっぱり いろいろあるわけです。」
岡田くん
  「うん。」
莫さん  
  「こういう、豊かな、人間の感情を、5つの母音で、どう表現、しきれるのか?と。
  そう考えるとですね、そこでもう、すてに 詩人的になってですね、
  もう、面白くなってきた、と。」
岡田くん
  「ほーぉ。」
莫さん
  「神秘的に感じて来た、と。
  さらに、本を開けてみるとですね、
  まあ、文革中のテキストですから、割と、革命的な言葉が いろいろ入ってるんですね。
  “赤旗”とか、書いてあるんですね。
  漢字を見るとですね、“赤(セキ)”という字が、赤い という字なんですが、
  『ああ、そうか』
  中国では、アカハタを書くって、“紅旗(ベニハタ)”になるのですが、
  ああ、日本は、“赤旗(セキハタ)”なのか、と。
  まあ、赤(セキ)も“あかい”という意味ですから『ああ、理解できる』と。
  さらに、ローマ字が書いてあるわけですよ。
  ひらがなも、もちろん書いてあるんですが、私は、勉強してなかったので、」
岡田くん
  「うん。読めなかったんですね。」
莫さん
  「わかんないんですね。もう、ごちゃごちゃ、すごく書いてあるわけですよ。
  しかし、ローマ字を見ると、読めるわけです。
  “ア・カ・ハ・タ” 読めるわけです。
  そうすると『読めたじゃないの』と。
  しかも、母音は なんと全部“ア”で終わっているじゃないの!と。
  こんな単調な、あるいは単純な、その、日本語で、しかも、漢字もあってですね、
  もう、パッと見て、
  “銀行”だ、と『あぁ』 “人民”だ、と『あぁ、そう』と。
  もう、読めなくても、わかるわけですよ。
  じゃあ、日本語は、ラジオ講座が始まったばかりで、
  これまで、日中間は 国交がなかったから、日本語を勉強してる人も、あまりいなかったし、
  そうすると、俺は、この日本語を勉強して、
  希少価値が出て来るんじゃないの? と。」
岡田くん
  「ほぉー。」
莫さん
  「それでもう、日本語を選んだんですね。」
岡田くん
  「へーぇ。 ちょうど そのとき、国交正常化。」
莫さん
  「そうですね。70、その前の年にですね、国交正常化したわけで、
  ですから、翌年に、こういった講座が 出来るようになったんです。」
岡田くん  
  「うーん。」


(曲)
TAHITI 80 『CHINATOWN』
アンユージュアル・サウンズ・フォー・Levi’s(R)・セレクテッド・バイ・Tahiti 80





岡田くん  
  「ここ何年で、中国って結構、変わりましたか?
  なんか、すごい変わったイメージがあるんですよ。
  あの、僕らからすると、たぶん。
  みんな あるんじゃないかなー。」
莫さん  
  「あると思いますよ。
  中国は、1978年から、改革開放路線が始まったんですが、去年で ちょうど、30年ですね。
  じゃあ、30年前の中国は、どういう国なのか というとですね、
  例えば、中国の経済力から見れば、日本の 10何分の1ですよ。」
岡田くん
  「30年前ですね。」
莫さん
  「30年前ですね。
  まあ、日本の、ある県と ほぼ同じぐらいのレベルだったんですね。
  これが、12年間一所懸命やって、
  1990年に、ようやく日本の 9分の1になっているわけですよ。
  じゃあ、いまは、中国は どうなっているのか、と。
  2007年で、中国と日本の経済力は、
  日本を4とすれば、中国はもう、3に来ているわけですよ。
  おそらく、このまま行くとですね、早ければ2010年、」
岡田くん
  「日本、変わりますよね。」
莫さん
  「日本と、肩を並べるわけですね。」
岡田くん
  「同等ですね。」
莫さん
  「遅くても、2012年ですね。ですから、その意味ではですね、もう、完全に 中国の民衆も、
  中国の国民の、日本を見る目も、
  日本の国民の、中国を見る目も、そうとう変わっています。」
岡田くん
  「うーん。」
莫さん
  「例えばの話ですが、私 日本で感じた、その変わり方が、やはり、いろいろあるんです。
  90年代の後半頃まで、中国の お客さんが来ると、
  視察とか、いろいろ 来てるわけですが、
  なかでも、私の知り合いも いるので、『いやー、莫さん、案内してくれ』と、
  頼まれることも よくあるので、ですから、ま、連れて行くわけですね。
  当時、私の 案内のコースは、たいてい、まず、秋葉原に行く。
  そこの、免税店などに入って、みんな、日本のテレビとか、カメラとか、冷蔵庫などを、
  買ってですね、持って行った お金の大半は、そこで使ってしまったんですね。
  それで、まず みんな、満ち足りた気持ちになってた。
  公用以外の、私的な目的は、ここで大半は、まあ 果たしたと。
  そのあと、上野のアメ横に連れて行ってですね、
  あそこで、500円のネクタイとか、そういう安いものが、いろいろあって、
  それを みんな喜ぶ。
  『わぁ、莫さん。これは、地元の人が案内してくれないと、そんなところは知らないよ』
  と、みんな 感激してくれるわけですね。
  それを、また、買った後、こんどですね、私は、ニューオータニに連れて行って、
  ニューオオタニのガーデンを見ながら、お茶を飲んで、まあ、私が奢ってですね。
  それで、終わってから さらに移動して、もう夕方になるので、
  西新宿の高層ビルを見せて、みんな それを見て、
  『はーぁ、先進国は こういうものなのか!』と、感激するわけですね。」
岡田くん
  「うーん。」
莫さん
  「しかし、90年後半、同じコースを案内すると、
  まず、秋葉原に行くと、家電製品はもう みんな、買わなくなってしまいました。
  買っても、カメラとか、そういう デジカメぐらいで ですね。」
岡田くん
  「いまは、どうなんですか?」
莫さん
  「いまは むしろ、デパートに連れて行くわけですよ。」
岡田くん
  「ほーぉ。」
莫さん
  「伊勢丹。新宿の伊勢丹など 連れて行くとですね、
  2時間、買い物時間みていても、絶対、足りないぐらいで、2時間経っても、もう・・・」
岡田くん
  「いや(笑)そうとう、なんだろう。結構、観光客の方、来てもらってますよね。
  日本はね。」
莫さん
  「そうそう、出て来なくなってしまうわけですよ。
  そうすると、汐留が出来るまでですね、西新宿に連れて行くと、みんな、
  『ああ、上海の高層ビルより低いですね』と。(笑)それで終わっちゃうわけですよ。」
岡田くん
  「うーん。」
莫さん
  「そういうところは やはり、日本 見る目が変わって来た。  
  逆に、昔、感心しないところに、いま、感心するように なったんですよ。」
岡田くん
  「例えば、どういうところ・・・」
莫さん
  「例えば、地下鉄や電車に乗ると、
  『あー、みんな 降りてから乗るんですね! 中国は、まだ そこは出来ていない』と。
  昔、中国、地下鉄とか そういうのは ないので、だから、比較できないので、
  いまは それは、上海など、地下鉄も 何本もあるから、」
岡田くん
  「出来ましたよね。」
莫さん
  「自然に、比較するようになるので。
  あるいは、町を歩いて、幼稚園の子供達が、町に出るわけですね。
  公園に、先生が連れて行くとか。
  着てる服は全部、例えば、黄色い帽子を被ったりしてる。
  目立つようにしてる。
  そういう、理屈 話すとですね、みんな 一様に感心するんですよ。
  『はーぁ、そういうところが いいねえ』と。
  『中国も、学ばなければならない』とか。」
岡田くん
  「うーん。」
莫さん
  「ですから、以前のように、日本のハード的なところに感心するよりも、
  むしろ、日本のソフト的なところに、関心を持つようになっている。」
岡田くん
  「それ、一部の 富裕層ですか?
  それとも、一般・・・」
莫さん
  「普通。一般。」
岡田くん
  「一般の人。」
莫さん
  「一般の人達ですよ。」
岡田くん
  「ほーぉ。
  いま、中国でも そうなのかもしれないですけど、格差社会になって来てるという、
  よく、耳にしますけども。」
莫さん
  「そうですね。格差が やっぱり、広がっていますね。」
岡田くん
  「うーん。」
莫さん
  「中国にとっては、非常に大きな問題で。
  ただ、まあ、日本のみなさんの言っている“格差格差”の問題とは、
  あるいは、みなさんの知っているのとは、
  私は、まあ、ちょっと違った考えを持っているのですが。
  日本は、言い換えれば、資本主義という看板を掲げた、社会主義の国ですよ。」
岡田くん
  「フフフ。(笑)」
莫さん
  「言い換えれば、日本は、格差が あまりないんです。
  ですから、穏やかで、老後を過ごそうと思うと、
  こういう、穏やかな国で、非常にいい、と。
  中国は、格差が存在すること自体は、中国の、実は パワーに繋がっている。」
岡田くん
  「うーん。」
莫さん
  「ただ、この格差を、これ以上拡大すると、絶対いけないです。大きな問題で。
  じゃあ、かつての日本のようにですね、非常に、格差の小さい国になると、
  中国は、13億人いる。
  じゃあ、4人で1世帯と考えると、3億以上の世帯がいるわけですね。
  じゃあ、みんな、車一台を持つとなると、どうなるんですか?地球は。」
岡田くん
  「地球は、もう・・・」
莫さん
  「まず、石油が、あっという間に・・・」
岡田くん
  「なくなりますね。」
莫さん
  「なくなってしまう。
  空気が、あっという間に、汚くなってしまうわけですね。
  その意味では、幸い、中国は 格差があるから、
  みんな 一気に、いま 車 買えないんですよ。
  なかには、一部の人が、たぶん10年後になって ようやく車を買える。
  さらに、一部の人は、15年後になって、ようやく買える。
  こういう、仕組みになっているのですね。
  そして、10年後は、ひょっとしたら、電気自動車が 普通に使えるようになる。
  太陽エネルギー自動車が、普通に使えるようになる。
  地球に負担が あまりかけずに車が使えるようになる。そういった時代に なるのでですね。
  ですから、幸い ある意味では、中国の その格差があるからですね、
  日本の皆さんが 助けられた。」
岡田くん
  「フフフ。(笑)」


(曲)
GUNS N'ROSES 『CHINESE DEMOCRACY』
CHINESE DEMOCRACY





岡田くん
  「難しいとこじゃないですか、中国の人にとっては、まあ、その、だから、
  みんなが、車 使いだすと、地球がもう、滅びてしまうんだよ とかって言われることは、
  結構あったじゃないですか。
  でも、それは、自分達の国は、国家を きちんと繁栄させて、
  国民が、幸せに生活できるように 国家を作ってるわけであって、
  矛盾が生まれるじゃないですか。」
莫さん
  「矛盾は生まれています。
  ですから、ここに、何が重要なのか、
  単純な平等よりも、チャンスの平等が必要です。」
岡田くん
  「チャンスの平等?」
莫さん
  「例えば、裕福な家庭に生まれた子供であっても、貧しい農家に生まれた子供であっても、
  同じような教育を受けるチャンス、恵まれないとですね、いけないと。」
岡田くん
  「うん。」
莫さん
  「例えば、アメリカのニューヨークに行ってみて下さい。
  アメリカのニューヨークの格差、極端に言えば、今の中国よりも凄い。」
岡田くん
  「まあ、そうですね。」
莫さん
  「そうでしょう。
  じゃあ、なぜアメリカは、中国のような 格差問題はあまり騒がれていないのか、と。
  アメリカでは、ある意味ではですね、チャンスの平等を、よく実現してる。」
岡田くん
  「うん。」
莫さん
  「ですから、オバマさんは ですね。移民の子供として、大統領になれたじゃないかと。
  そういうのも見てですね、実際、生活の中で、その 格差に苦しんでいても、
  努力すれば、いずれは恵まれるだろうと、信じて やっているわけです。」
岡田くん
  「うーん。」
莫さん
  「だから、私から見れば 今の中国には、まさしく、これが必要なんです。」


岡田くん
  「中国の人達って、例えば 日本人のことを、どう表現してらっしゃいますか?」
莫さん
  「大雑把に言うとですね、まず、日本人は 非常に勤勉で、」
岡田くん
  「勤勉。」
莫さん
  「勤勉で、清潔を好む、と。」
岡田くん
  「うん。」
莫さん
  「そして、仕事は 非常に真面目だ、と。
  品質などを 重視する、と。
  それは、大雑把なイメージですが、
  もう一方は、例えば 歴史問題とか、そういうのを 日本に対してですね、
  相当、やはり厳しい目を向けている一面もあります。」
岡田くん
  「なんて、こう、言ってたりするんですかね。
  例えば、悪い言葉でもいいので、日本人のことを、
  こういうふうに表現したりするとかって ありますか?」
莫さん
  「日常会話の中でですね、
  まあ、例えば“小日本”(シャオリーベン)というのは、小さな日本と。
  日本は“大日本”という言葉があるのですが。
  例えばこの“小日本”という言葉は、二通り 理解しなければならないと思うのですが、
  一つは やはり、見下している、」
岡田くん
  「見下した言い方。」
莫さん
  「一面もあるんですね。」
岡田くん
  「も、ある。」
莫さん
  「もう一つはですね。
  中国より 国土が小さい国に対しては、
  中国とは、結構この“小”を付けて言っているんですね。
  これは、見下しているところに繋がっているんですが、
  もう一つのことはですね、
  ある意味では、親しみ。くだけた、表現にもなっているのでですね。ただ・・・」
岡田くん
  「全然、自分達よりは、領土的には ちっちゃいのに、
  すごい、あの、パワーがあったり するよね、っていう意味も あったり・・・」
莫さん
  「そうですね。そういう意味も入っっているんですね。
  ですから、例えば、カラーテレビを 以前 買ったと。
  みんな見てですね『いやー、この“小日本”は、なかなか いいものを作っているな』と。
  この“小”は ですね、やはり、見下した というよりも、
  まあ、くだけた表現になっている一面もあるのでですね。」
岡田くん
  「まあ、歴史的に、そうなっちゃったとこは あるじゃないですか。」
莫さん
  「あります。」
岡田くん
  「日本と中国は。日本も いろいろやったし、ま、いろんなことがあって、
  今、でも、そういうことを、なんだろう、
  お互いが、そういう なんか・・・なんていうのかな、
  日本も なんか、えっと ニュースでは、えー、なんか混ぜた、
  混ざったのが輸入されて来て、もっと きれいにしてほしい、とか、
  こっちも要望があって、中国からも いっぱいあるじゃないですか。」
莫さん
  「そうですね。」
岡田くん
  「それ、どうやって解決していけば いいですかね。」
莫さん
  「私は、まあ、そういうことに対してはですね、
  私は あまり、悲観的には見ていないんですが、
  実は、一番最初に、おそらくですね、私は かなり早い時点で、日中間の変調を警告して。
  1998年。当時 上海で講演した時、
  これから20年間、日中関係は よくならない、と。」
岡田くん
  「ならない。」
莫さん
  「発言したんですが、
  そうしたら、講演を聴きにきた人達が。 やはり、上海の 日本関連の仕事をしている、
  あるいは、日本を研究している学者たちです。
  相当、猛烈な反論を受けたんですよ。
  『莫さんは、日本を知っているとは思いますが、悲観的に見すぎた』とか、
  いろいろ言われてですね、
  しかし、数年後、また上海で こういう人達と出会うチャンスに恵まれた時ですが、
  そのとき、みんな『やはり、莫さんの言った通りになりました』と。(笑)
  なぜ、私、98年の頃、これから20年間、日中関係は 良くならないと思っているのか、と。
  実は、歴史的に見ると。アジア、特に、東アジアの歴史を見ると、
  ずっと、一つの兄弟国が、地域全体を引っ張って やって来た歴史が、
  続いて行ってるんですよ。
  昔は、中国が、リーダーだったので、
  日本は、中国に、遣隋使 遣唐使を派遣して、留学僧などを出して、
  中国の文化を、いろいろ吸収して来たんです。
  近代になってから、逆に 日本が先頭に立って、
  中国は、日本に、いろいろ学びとったんですよ。
  例えば、いまの中国の言葉には、みんな使っている言葉には、
  “干部(幹部)”とか“立場”とか、
  そういう言葉は 全部、日本から、逆輸入したものですよ。」
岡田くん
  「逆にね。」
莫さん
  「日本に学んで、ですね。
  これは、ずうっと、こういう形で、一つの国が アジア全体を、あるいは 東アジア全体を、
  引っ張って来た歴史が 続いてるんですが、
  じゃあ、いまは どうなのか?
  先ほど、私が話したようにですね、
  GDPでみると、中国3、日本は4。もう、ほぼ対等になって来た。
  そして、中国は どんどん、また伸びて行くわけですね。
  日本は、最近、やっぱり、勢いを落としているところは あるのです。」
岡田くん
  「伸びるってことは、たしかに・・・」
莫さん
  「伸び悩んでいるところが あるのです。
  ですから、日本から見ればですね、中国に 追いつかれ追い越される過程にあるので、
  心穏やかでないところも あるので、  
  ですから 私、それは一つの、心理調整期が必要です。」
岡田くん
  「うーん。」
莫さん
  「この、こころ的なバランスを取り戻すためにですね。
  一方、中国にも、同じこと言えるわけですよ。
  いままでは、仰いで見ていた日本が、もう相当、平かに見えるようになって、
  ややもすると、中国のビルも、もっと高く、
  日本より もっと高いところを、日本を見ている傾向が出て来るのでですね、
  実際、冷静に考えると、30年前にスタートした 中国の改革開放は、
  “日本に学ぼう”というスローガンから、始まったんですよ。
  当時の、中国人も。中国指導者も、中国国民も、考え方が 非常に単純だったんです。
  日本の 今日(こんにち)は、中国の 明日(あす)だと。
  日本の、今やっていることを真似すれば、明日の中国も、
  いまの日本と同じようになれるんだ、とやったんです。
  この30年間 いろいろ苦労してやって来て、日本と肩を並べるように近づいた今は、ですね、
  私から見ればですね、中国の国民は、もう一度、謙虚に、原点に戻って、
  日本に学ぶべきだと、主張しています。
  ここ数年は、ほぼ、中国で講演すると、こういうことを 言っているわけだ。
  何故かといいますと、ハード的に言いますと、
  建物の高さから見れば、もう、日本は そのうち、中国に圧倒されてしまう。
  上海に行くと、上海の高層ビルが、日本全体を束ねたものよりも多くなっている。
  しかし、実際、中国の国民も、すでに、日本を見る目が変わって来たと同じように、
  だんだん、日本のハードよりも、日本のソフトなところを見るようになって来たのですね。
  ですから 私は、日本のソフトについて、日本のソフト的な所について、
  もっと謙虚に、もっと長期に渡って 学ばなければならないんじゃないかと、
  いろいろ発言してます。」


(曲)
DE DE MOUSE 『EAST END GIRL(KEEPS SINGING)』
sunset girls





莫さん
  「中国は30年間、かつて、日本の10数分の1しかない経済力をですね、
  いま、日本に追いついて来て、数年後、肩を並べる と私は表現しているんですが、
  正直言いますと、肩を並べるというのは 社交辞令ですよ。追い越されるんですよ。」
岡田くん
  「フフ。(笑) うん。」
莫さん
  「じゃあ、なぜ、この短期間で、中国は やれて来れたのか、
  そこに何か、日本の みなさんにとっては、学ぶべきものが ないのでしょうか?」
岡田くん
  「うーん。ま、あるはずですよね。」
莫さん
  「あるはずですね。」
岡田くん
  「うん。」
莫さん
  「ただ、残念ながら、私 いろいろの地方で講演して、
  地方自治体の幹部に、いろいろ聞いたこともある。
  経済団体のトップに、聞いたこともある。
  一度もですね、まともな回答を 得たことがありません。」
岡田くん
  「うーん。
  だから、きっと、僕たちは、中国のこと もっと知らなきゃいけないんですよ。
  で、えーと、ニュースとかで流れて来る情報は、いいことは 流れて来ないわけですね。
  なんか、事件があったら、入って来ることなので。ニュースとかっていうのはね。
  じゃなくて、もっと知らなきゃいけないから、
  中国のこと、もっと教えて下さい。(笑)
  行きたくなるような。」
莫さん
  「そう。これは ですね、日本のメディアの習性でもありますし、
  逆に、中国のメディアを見ると、いまも同じですよ。
  日本で 誰か、問題発言をするとですね、もう、急いで 取り上げるわけですよ。
  例えば、私がここで、日本を褒めたとしてもですね、
  誰も『莫さんが、こんなことを話してる』と、取り上げてくれないわけですよ。
  例えば、また、ここで、日本を罵倒したと、」
岡田くん
  「けなしたら・・・」
莫さん
  「そうすると、すぐに、取り上げてくれる。」
岡田くん
  「取り上げられるんですね。」
莫さん
  「もう、これは、メディアの習性ですが、かといってですね、
  実際、非常に重要なのはですね、国民同士の交流ですよ。
  去年ですね、こんな不景気の中で、実は、」
岡田くん
  「上海 全然 影響ないらしいじゃないですか。」
莫さん
  「日本を訪れた外国人観光客は、中国人だけが 増えているんですよ。
  他の、韓国人とか全部、激減している中でですね、中国人は増えて、
  初めて、百万人という大台を越えたわけです。
  この百万人が日本に来て、じゃあ、何をしたのかと。
  もちろん、遊びもしたと、観光もしたと、買い物もしたと。
  実は、もう一つ重要なのは、自分の目で、日本を見たということですよ。」
岡田くん
  「うん。」
莫さん
  「そしたら、彼等が、自分で日本を見て、そして 報道で報じられている日本と、
  自分の目で確認した日本との、その中に、落差があることに、気付くわけですよ。
  同じように、中国を訪れた日本人もですね、
  もちろん、もう、耳にタコが出るほどですね、この話を聞かされています。
  『日本では、中国は大変だ大変だと報道されてるんですが、
  上海に来たら、中国 どこが不景気なのか』と言うわけですよ。
  これは、やはり、メディアの ミスリードしている一面がある と思いますね。
  じゃあ、メディアは、でっち上げて報道してるか、
  それも、そうじゃないんです。
  真実を、報じてるんですが、ただ この真実が、全体の一部に過ぎなかったことを、
  忘れてはいけないんじゃないかな と思います。」
岡田くん
  「うーん・・・
  まあねぇ、なんか、うーん・・・
  どうすれば、なんだろう、良くなるかなあ と思って、ね。」
莫さん
  「あと5年、待てば。」
岡田くん
  「5年。」
莫さん
  「こういう問題、自然に解消する。」
岡田くん
  「ほんとですか?」
莫さん
  「ほんとです。
  日本人の非常に いい・・・」
岡田くん
  「だって、もう、中国は、アジアの大国で ナンバーワンだって自負があるでしょ。
  たぶん。
  もう、すでに、あるかんじが すんだけど。(笑)」
莫さん
  「ナンバーワンに なるのはですね、これはまあ、物理的に見ればですね、
  もう、避けられないのです。」
岡田くん
  「そうですねぇ。」
莫さん
  「だから、私は、日本人の 非常にいいところが どこなのか、というのを、
  いったん中国に追い越されたらですね、たぶん、非常に冷静になって、
  中国をもう一度 見直す 気運が高まると思いますよ。
  逆に、中国にとっても、同じことですよ。
  数字的に 日本は、例えば、GDPという数字で、日本を追い越したということでですね、
  喜ぶだけではなくて、逆に、もっと冷静に、日本の良さを認識して、
  アジアで、一、二位である 中国と日本の 手を携えれば、
  アジアのGDPの、大半を占めているわけですね。
  そうすると、アジア全体に、もっといろいろ 貢献できることが増えるし、
  そして、もっと いろいろやれることが あるじゃないかと思いますね。
  ですから、今までは、日中間は やはり、
  お前が伸びれば、こちらが押されてしまうという発想で やってますが、
  こういう発想よりも、これから むしろ、両方とも 価値をとれるような、
  こういったモデルを作らなければならないんじゃないかなと思います。」


(曲)
ERIC KAZ 『I CAN'T LIVE WITHOUT YOU』
カル・デ・サック






(対談が終わって、岡田くんの感想)

「さあ、ということで、莫さんと お話をさせていただきました。
えーっと、もう、ほんとに よくしゃべる。(笑) 莫さんは お話好きなんでしょうね。

なんだろうね。
もっと、なんかこう 知りたいですよね。
知りたいっていうか、知らなきゃいけないなあっていうのは、すごく、思いましたし。
たぶん、この、ものすごく 義に厚い、勢いのある、
ブワー!って喋る かんじのイメージがあるじゃないですか。中国の人って。
だから、でも、ほんと まあ 日本と同じで、いろんな人がいるわけで。
まあ、日中問題っていうのはねぇ、たくさん、歴史が絡んで来てますから、
歴史を、なかったことにしようってことは、たぶん出来ないので、
それをねえ、お互いが、未来の人が 引き継いで行かなきゃいけないことなんですけども。

でも、これからの、自分達の在り方だとは 思うんですけどね。
なんか、日本って、じゃあ あの、実際ね、
経済的には、あんな大きい国だから、
あんな大きい国が、チカラつけて来たら、
ちっちゃい日本の国の経済なんて、抜かれて行くっていうのは、まあ、実際わかることで。
それとかは 別として、なんか、日本が どういう国で いたいのかとか、いるのかっていうのが、
もうね、いま、わからなくなって いってるじゃないですか。
一回、経済が ガーッつって 盛り上がって、で、チカラつけたのは いいけど、
じゃあ、これから、チカラがつけた後に、
“どういう自分で いたいのか”っていう時だと 思うんですけど。 日本は。
それがまだ ちょっと、見えないとこもあるし。

僕は、なんか “本物の国” だなって言われたい っていうかんじは、ありますけど。
なんか、あの、ちっちゃいのに、
『あそこ行くと、いいもの揃ってんだよねー』 みたいな。
『なんか、カッコいいよなー』 みたいな。
若い感覚で 言うとね。
なんかこう、
『オレ達、こうなんですよ!』 って、
いま、言えてない気が すごく するので。

うーん・・・
まあ、でも、今後 時間かかるって、莫さん 言ってましたけど、
まあ確かに、時間かかるんでしょうけど。

なんか、オレ、社会っていうのが、ちょっと変わって来る気がするんですけどね。
うーん。全体的なものが。
日本自体も、変わる気がしますし、世界は変わる気がしますけど。
うーん。
どうなって行くのか。
ま、変えるのは、自分達ですから、
みんなで考えれたら いいなあ とは思います。」


(曲)
陳坤 『太認真』


(莫さんからのコメント)

「実際、お話ししてですね、
私は、この番組、そして 岡田さんの やり方には、非常に共感を覚えているのはですね、
身近な話から、大きなことを、語ろうとしている。
あるいは、大きなことを知ろうとしている。
やはり、こういうふうに語ると、もっと、若い人達にですね、
受け入れやすいんじゃないかなぁと思いました。

特にですね、実は いま、日本は就職難で、
海を渡って、上海に行って、仕事を探している日本人の女性、
若い人達が、非常に増えているのでですね。
しかも、日本では、若い女性の仕事というと、どうしても、補佐的な仕事でですね、
悪く言えば、お茶汲みとか、コピー取りとかという。
中国で活躍している 日本人の女性はですね、
もう、ある分野の責任を任されて、やっているので、
非常に 生き生きと働いているのを、現場で見てですね、ものすごく印象に残りました。」


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