Entries

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

2011/4/3 on air  「20代をどうがんばってきましたか?」                 (guest) 田根剛さん



(オープニング)

「こんばんは、岡田准一です。 今夜も始まりました 『Growing Reed』
この番組では、毎週一つのテーマの専門家をお呼びして、徹底的に質問。
番組の終わりには “考える葦” として、
僕も、みなさんと一緒に、成長したいと思います。

今日のゲストは、建築家の 田根剛さん です。

田根さんは、現在 建設中の、
ヨーロッパ北東部にある バルト三国 の 一つ、エストニアの、
国立博物館の設計を行った方 です。

というと ですね、どんな大御所の 建築家の方だろう、という感じなんですが、
実は、田根さんは、いま 31歳。
エストニア国立博物館の 設計コンペに勝ち抜いた時は、なんと、26歳 だったんですね。

すごいですね、若いのに、
26歳で、勝ち抜いてきた。
僕は 26歳ん時は、そうですねー、何やってたかなあ・・・っていう感じに なっちゃいますけど、
実は 僕、田根さんと・・・ま、田根くんとですね、
エストニア で、会ったんですよね。

あのー、一回 ほんとに、なんだろう、
日本人として “アイデンティティー とは 何だ” みたいな 堅苦しい話を、実は 向こうで、
番組で 行ったことがあって、話したことが あるんですけども、
すんごい、あのー、しっかりした 面白い方でしたね。

実は、田根さんとの収録は ですね、
大震災の起こる前に、行いました。
テーマは “20代をどうがんばってきましたか?” 

あの、大震災が あって、
多くの人達が、日本を再生しようと 頑張っています。
日本の再生には、これから 10年以上かかる、というふうに言われていますが、
その10年に、いま、20代の人達が どう取り組んで行くのか、
日本の未来が それによって決まると言っても、過言ではないと思います。

いま 20代以下の人には、何か 参考に なるかもしれませんし、
30代以上の人には、20代の頃の自分を思い出して、
未来に立ち向かっていってほしい、という願いを込めて、今日の放送を送ります。

“20代をどうがんばってきましたか?”

J-WAVE 『Growing Reed』
新しい一週間、最初の60分。 ぜひ、一緒にお付き合いください。」



(曲)
BEADY EYE 『THE ROLLER』
ディファレント・ギア、スティル・スピーディング


岡田くん
  「やー、なんか こうやって、ねえ、田根さんと話をするのも・・・」
田根さん
  「改まって・・・」
岡田くん
  「2度目 ですから」
田根さん
  「そうですね」
岡田くん
  「エストニアで、実はね、あのー、
  行って、お話さしてもらったんですよね」
田根さん
  「はい」
岡田くん
  「そのとき、結構 真面目な話を・・・」
田根さん
  「(笑)」
岡田くん
  「ハハハ(笑) したんですけど。
  ま、今日は “20代をどうがんばってきましたか?” っていう、あれなんですけど。
  ま、ちょっと ざっくりした・・・」
田根さん
  「そうですね」
岡田くん
  「テーマ なんですけども。
  26歳んときに、エストニアの国立博物館の 国際コンペで、1位を取った・・・」
田根さん
  「はい」
岡田くん
  「これ どういう、こう、あれで、
  ビックリ したんじゃないですか?」
田根さん
  「ビックリ しましたね。 なんか、
  1日にして、自分の人生が バタッと変わる、っていうのは」
岡田くん
  「あー・・・」
田根さん
  「過去にも先にも、その時が一番、おっきかったですかね」
岡田くん
  「結構 いろいろ、出されてたんですか? いろんな コンペには」
田根さん
  「個人的に、そういった 国際コンペ に出したのは、初めてですね」
岡田くん
  「初めてで・・・」
田根さん
  「個人で出した、というのは」
岡田くん
  「それ、学校卒業して、どっか、アシスタント みたいなの やられてたんですよね」
田根さん
  「そうですね、スタッフ として 設計事務所で働いていて、
  そん時に、夜な夜な、友達と、
  仲良くなった仲間と 一緒に、コンペに出そう! って言って、で、その時に、
  当時、探していた中で 一番、
  エストニアの、ナショナルミュージアムの コンペが、一番 大きそうで、
  おぉ、これはすごいね、やろう やろう! って言って 盛り上がって、やり始めたので」
岡田くん
  「3人ですよね。 3人で・・・」
田根さん
  「そうですね、3人の。
  イタリア人の ダン というパートナー と、あと、レバノン人の リナ という 女性のパートナー と、
  あと 僕とで。
  みんな、日中は 仕事をしてるんですけど、だいたい、仕事 終わってから、夜。
  夜通しで ずっと やる、っていう」
岡田くん
  「あー・・・ 結構、楽しんで やってたんですか?」
田根さん
  「最初は、2か月ぐらい前から、やろう やろう って言いながら、
  結局、まともに動き出したのは ほんとに 3週間ぐらい前ですかね、実際に・・・」
岡田くん
  「それで・・・3週間前ぐらいに、ガー って 作って・・・」
田根さん
  「作り始めて。 図面 描いて、ワーワー ワーワー 作り始めたのが 3週間で、
  そんとき やっぱり、楽しい っていうよりも、
  いまでも 忘れもしないんですけど、ロンドン、
  自分が 東の方に住んでいて、作業場を 西の ロンドンで やっていたんで、
  バスの、55番 ていうのと 19番 ていうの 乗り継ぐんですけど、1時間半ぐらい」
岡田くん
  「うん」
田根さん
  「そこが 唯一の 寝れる時間で、
  ずっと 夜中 働いて、始発かなんかで バスに乗って、
  家に帰って、シャワーを浴びて、働きに行って、
  また、夜7時に バスに乗って、っていうのを 3週間 続けた っていうのは(笑)」
岡田くん
  「(笑)すごいですよねぇ」
田根さん
  「キツかったですね」
岡田くん
  「そもそも、田根さん、サッカー やってた・・・」
田根さん
  「(笑)あ、はいはい」
岡田くん
  「じゃないですか。
  サッカー で 結構、ねえ、いいとこまで行ってて、同世代の・・・は、誰でしたっけ?」
田根さん
  「同世代は えーと・・・いま、活躍してたのは、チームメイトで 阿部 っていう・・・」
岡田くん
  「阿部選手ですね」
田根さん
  「阿部ちゃんが いたり・・・」
岡田くん
  「ワールドカップ ん時に」
田根さん
  「はい」
岡田くん
  「アンカー やってた・・・」
田根さん
  「はい(笑)」
岡田くん
  「(笑) その頃 ちょうど、話してたから」
田根さん
  「(笑)」
岡田くん
  「ちょうど その頃に、行ってたんですよ」
田根さん
  「そうですよね。 ワールドカップ 観てましたね、一緒に(笑)」
岡田くん
  「ワールドカップ 観てたから(笑)ウワー! っつって」
田根さん
  「(笑)」
岡田くん
  「その頃 “阿部ちゃん” て呼べるぐらい、一緒に やってて」
田根さん
  「チームメイト ですね」
岡田くん
  「チームメイト で やってて。 で、建築を試みて」
田根さん
  「うーん」
岡田くん
  「すぐ、海外 行っちゃった・・・」
田根さん
  「そうですね。 実際、サッカーをやっていて、
  やっぱり プロになれない。 さて、どうしようか? っていう時に、
  ま、北海道に行こう と言って、
  北海道に行った先に、建築学科があるので、
  そこで、建築を始めようと思って、始めていくうちに、
  すごい面白かったんですよね。
  そしたら たまたま、うちの大学が、スウェーデンに 交換留学制度を始めたばっかりで、
  あっ、スウェーデン て わからないけど、面白そうだな、っていって チャンスがあったので、
  手を上げたら、上手く 選ばれたので」
岡田くん
  「うーん」
田根さん
  「言葉も喋れないのに、行こうと言って(笑)」
岡田くん
  「偶然なんですか?」
田根さん
  「そうですね」
岡田くん
  「何が・・・元々、建築、好きだったんですか?」
田根さん
  「いえ、いえ」
岡田くん
  「何が きっかけで、建築学部に入ろうと思ったんですか?」
田根さん
  「そうですね、北海道に行こう って言って、行った先の 大学学科が、
  芸術工学部 という学部しか なくって、
  そこに、デザイン と 建築、っていう学科しか無かったんですよ」
岡田くん
  「うん」
田根さん
  「デザイン と 建築 どっちだろう とかって、そんな感じの(笑)ほんとに。
  まず、北海道に・・・」
岡田くん
  「やってみて・・・」
田根さん
  「うん、そうですね。 面白かった、っていうだけのことですね」
岡田くん
  「元々、だって、建築も 別に、好きでもなく・・・」
田根さん
  「昔から知ってたわけでは なくて、
  高校で、建築学科に行ってみよう、って決めた段階で、初めて、
  建築 って 何だろう、っていって、パッと開き始めたら、
  ガウディ という、スペインの建築の、
  “サグラダ・ファミリア” っていう 教会があって、っていうのを まず 目の当たりにして、
  うわっ、何だ これは! すごいな、これ! って言って(笑)そこで 初めて、
  建築って、あっ、家だけじゃ ないんだ、ビルだけじゃ ないんだ、っていうのを、
  目の当たりにしたのが きっかけたっだんですよね」
岡田くん
  「うーん」
田根さん
  「そん時に やっぱり、初めて、こんなの造ってみたいな、っていうので、行った先の 大学の、
  はじめの 学校の課題 っていうのがあって、そこで、
  安藤忠雄 という、日本の・・・」
岡田くん
  「はい、安藤建築 っていう・・・」
田根さん
  「はい。 安藤建築で、北海道の トマムに 『水の教会』 という 教会があるんですよね。
  それが、ほんとに単純な箱が こう、二つ くっ付いただけのもので、
  その図面だけを渡されて、この模型を作りなさい という課題だったんですよね」
岡田くん
  「うん」
田根さん
  「それを見て、ただ、箱が二つ あって、
  何だ これ? こんな すごい単純な、面白くないなー、と思って。
  図面 見ても、なんか 箱だしなぁ、とかって言って、
  見ながら、まあ 図書館に行って、資料集を開いたら、
  すごかったんですよね。
  フワー っと こう、湖のところに、教会の十字架が浮いていて、
  15メートルぐらいの おっきな、ガラス張りの開口があって、
  うわっ! すごい空間だ! っていって、
  実際、トマムまで観に行って、で、観に行ったら、そこの、
  十字架に向かって 開かれてるガラスが、こう、ガーっと 開くんですよね」
岡田くん
  「うん」
田根さん
  「そしたら、風と光が、フワー って中に入ってきて、もう それで、
  あっ、建築 って、単純に 形じゃないんだ。 すごいな これは、っていうのが、大きかったですね」
岡田くん
  「うーん」


(曲)
COCTEAU TWINS 『CICO BUFF』
Blue Bell Knoll


岡田くん
  「こーれ、また、それに目覚めて、
  20代、ほとんど海外で過ごした、っていうんですけど、これ、どんな感じ だったんですか?」
田根さん
  「ねえ。 ほんと そうですよね」
岡田くん
  「えーと、どこに住んでたんですか? パリ・・・」
田根さん
  「最初に、えーと、ちょうど 二十歳の頃に、
  大学の交換留学で、スウェーデンに 1年間、行ってですね、
  その後 1年間。 卒業するのも あって、1年、帰ってきて。
  その時に、北欧の文化、生活 っていうことに、すごく やっぱり、
  スウェーデンに いた時のことが大きかったので、
  もう一回、北欧に行きたい、っていう思いが すごく強くなったので、
  その時に、デンマークの王立アカデミー という学校が あったんですけど、
  そこに、もう一回 行こうと決めてですね、
  そこで、北欧に 2年半。 デンマーク ですね。
  デンマーク に 行って、その後 ロンドンに移って、そっから 1年、生活を ロンドンでして、
  幸い、コンペに勝って、事務所を やろう と言って、始めたのが 26 だったんですけど、
  それ以降、この5年 パリですね、ずっと」
岡田くん
  「うーん。 20代 って、何 大事にして 生きてきてました?」
田根さん
  「うーん・・・なんだろう。
  出会い ですかね、なんか・・・」
岡田くん
  「おー・・・出会い」
田根さん
  「うん。 なんか その、自分が動くことによって、
  人との出会いも そうだし、場所との出会いも そうだし、文化との出会いも そうなんですけども、
  自分が動くことによって、こう、体の中に流れていく時間、ていうのが あるじゃないですか。
  そうすると やっぱり、去年の自分と 今年の自分は、やっぱり違っていて、
  それは なんか、その時間、1年 ていう時間の中で、
  自分の体を流れた 出会ったもの、っていうのが 蓄積されてると、
  やっぱり、去年 自分に、こんな感覚は無かったし、
  こんなことも考えられなかったし、こんなことも知らなかったけど、
  あっ、今は やっぱり 知っているんだ、と思うと、
  あぁ、やっぱり、1年 て大きいな、と いつも思ってたりするんですよね」
岡田くん
  「よく、時間が経つの、30越えると 早くなるとか・・・」
田根さん
  「(笑)そうですね」
岡田くん
  「20代後半から 早くなる って、言われますけど」
田根さん
  「ちょうど、30 に なられ・・・」
岡田くん
  「僕、いま 30 です」
田根さん
  「あぁ、そっか」
岡田くん
  「早くなる、って 言われますけど、それ どうですか?」
田根さん
  「1年 経ってみて、うーん・・・なんか、早くなったかと言われると、どうなんだろう・・・
  1年前が遠いですね、逆に」
岡田くん
  「うん? 遠い・・・」
田根さん
  「去年、お会いした じゃないですか、
  ちょうと、1年 経ってない ぐらいですけど」
岡田くん
  「はい」
田根さん
  「ずいぶん前のことだな、っていう・・・」
岡田くん
  「まあ ねえ、そうっスねえ。
  そう考えると、そうですね」
田根さん
  「あれ 去年だ・・・って」
岡田くん
  「なんか、雰囲気 変わりましたよね」
田根さん
  「(笑)そうですか?」
岡田くん
  「(笑)雰囲気。 髪 切ったからかな」
田根さん
  「髪 切ったから?(笑)わかんないです」
岡田くん
  「20代 って、どうなんだろうな と思って。 なんか よく、こう、
  車でも、行きは 時間かかるの体験するけど、
  帰り って早く感じるのって、いわれるじゃないですか。
  それって やっぱり、経験があると、人は 早く感じる・・・かと思うんですよね」
田根さん
  「うん」
岡田くん
  「だから、歳を重ねると 経験が増えるから、
  経験してること って、時間が 結構 早く進んでいって、
  経験してないことだと 何があるか わかんないから、ちょっと慎重に、こう、見ながら行くから、
  時間を ちょっと長く感じる、っていうのも あると思うんですけども」
田根さん
  「うんうん」
岡田くん
  「20代で、一番 得た経験で、大きかったもの って」
田根さん
  「うーん・・・」
岡田くん
  「やっぱり、エストニア ですか?」
田根さん
  「そうですねぇ」
岡田くん
  「場所の記憶 っていうのを活かした、っていうことが、
  すごく評価されてる っていうのを聞いたんですけども」
田根さん
  「そうですね、実際に 自分達が、100何通あった 応募案の中で 選ばれたときに、
  やっぱり、文化庁さんが 実際、当日の、授賞式の時に おっしゃられたのは、
  彼らが 何故 選ばれたのかというと、
  他の 素晴らしい デザインだったり、新しい建築は あったかもしれないけれども、
  彼らが提案した、この 最優秀案 というのは、そこにしかない 建築だし、
  自分達の 歴史と時間を繋いでる 建築なんだ、っていうことなんですよ」
岡田くん
  「うーん」
田根さん
  「それを聞いた時に、
  あぁ、そうやって評価してくれること って、すごい嬉しいな と思ったし、
  自分達が やっぱり、手探りの中 見つけたものでは あったので、
  なんか、空間を建築にすることは できたとしても、
  時間を建築にする っていうのは、すごく 魅力的なテーマだなと思うし。
  それは 過去からも そうだし、やっぱり、未来に向かって 開かれるべきものなので、
  造って終わりだし、カッコいい終わり、っていうものでは なくて、
  そっから じゃあ、使ってく人達、これから使おうとしてく人達だったり、
  使い始めた人 ではなくて、もう2世代 3世代 経った時にも、
  そういったものが、もっと 昔から ある、っていうのが、時間として わかる、っていうのは、
  理解してもらえた時に、うん、嬉しいなぁ と思いました」
岡田くん
  「うん」


(曲)
CLUB 8 『THE BOY WHO COULDN'T STOP DREAMING』


岡田くん
  「最初 っから でも、そういう 目的があって、
  目標があって、作っていった わけですよね?」
田根さん
  「そうですね」
岡田くん
  「作っていくときに」
田根さん
  「具体的には、元々 その敷地に、
  ソ連時代に造られた 空軍基地の滑走路が ずうっと 残っていて、
  で、自分達は、その滑走路を やっぱり 使わないわけには いかない、として、
  ミュージアム自体も、その滑走路の延長上に こう、
  滑走路が だんだん 屋根になって、屋根が ミュージアムになる、っていうような、
  建築なんですけれども、
  実際、体験として、一つの ミュージアムを体験してみていった後に、
  実際、滑走路の外に ポン と、出口として 出ていった時に、
  何も無い 森の中に、 1.2km の コンクリートの塊が ブワッと 横たわってるんですけども」
岡田くん
  「うーん」
田根さん
  「そうすると、それを知ってる人は、ソ連の滑走路だと思うし、
  知らない人は、何でこんなところに 急に コンクリートの塊があるんだろうか と思うし。
  逆に そこは、これから できあがっていて、
  毎年毎年 そこで何か、イベントをしていく時に、
  今度、人が集まる場所として、大きな プラザとして 開かれるので、
  じゃあ 2代目、3世代が 使われ始めた時に、
  いろんな、街の イベントであったり、ミュージアムの イベントであったり、
  そんなことをやった時の記憶が、どんどん どんとん蓄積されていくだけの、
  開かれた場所として残るであろう、というような 提案だったので・・・」
岡田くん
  「建築を これに、コンペに出そう って思った時、
  エストニアの歴史とかを調べると思うんですけど」
田根さん
  「はい」
岡田くん
  「それ やっぱ、その、滑走路 って、言うたら、なんだろう、
  負の遺産、って言ったら変ですけど、ロシア から、
  ロシア っていうか、旧ソ連ですよね。
  旧ソ連に 攻め込まれた時の、負の遺産として 残ってるものじゃないですか」
田根さん
  「はい」
岡田くん
  「それを こう、提示していく時に、
  負の遺産じゃないものに変えていく、っていうふうに・・・」
田根さん
  「そうです」
岡田くん
  「提示する、っていうのは・・・」
田根さん
  「おっきな チャレンジで、これは もう、やっぱり、場所の意味の転換、ていうのは、
  元々 ネガティブだったと思われていた場所を、
  どうやって、ポジティブにできるだろうか、っていうような提案だし、
  やっぱり、授賞式の後だったり、いろんな メディアからも こう、いろいろ 言われたのは、
  物語るとしては いいけれども、実際 それを体験した世代がいたり、
  生活しながら 毎日 こう、飛行機が バンバン飛んでて、
  ものすごい騒音で飛んでた、っていうようなことの思い出 っていうのは、
  やっぱり 辛いし、そんなものは もう忘れたい っていう人達も、もちろん いて、
  その中で、じゃあ、自分達が建築家として、どういった メッセージで理解してもらえるかどうか、
  説明をして わかってもらえるかどうか、っていうのを続けて、
  今は もう、そういう声は 無くなったんですけれども、
  当時は もう、バツ っとわかれて・・・(笑)」
岡田くん
  「26歳んときに、それを こう、なんだろう、
  考えてた 田根くんの 大人っぽさ、というか・・・」
田根さん
  「ヘヘ?(笑)」
岡田くん
  「それを知りたいなと思ったんですよ」
田根さん
  「いやいや いや」
岡田くん
  「なんだろう、その、26歳ん時に、
  例えば、歴史とか 社会とか そういうのって、なんだろう、
  考えれてた っていうのが・・・」
田根さん
  「うん」
岡田くん
  「僕 もう、ここ 2~3年 なんですよ」
田根さん
  「(笑)」
岡田くん
  「あの(笑)たぶん、27~8 ぐらいから、きっと その」
田根さん
  「少しずつ・・・」
岡田くん
  「少しずつ 変わっていったんだと思うんですよね。
  歴史は 好きだったんで、知ってますけど、
  それが自分と 上手く こう、重なってなかったんですよね、26ぐらいん時 って」
田根さん
  「たぶん、それは 自分が やっぱり、ポン と、
  ハタチ、19、ハタチか・・・ハタチんときに、ポンと スウェーデンに行って、
  誰も知らない場所で、言葉も通じない人達。
  何も、道も 一つも わからないところに 置き去りに・・・
  まあ、自分で行ったんですけど(笑)」
岡田くん
  「(笑)」
田根さん
  「置き去りにされるような体験をした時、
  やっぱり、自分から メッセージを発していかないと、興味を持ってもらえないし、
  別に、日本人だから っていって、日本て どうなの? って聞いてくる 友達もいないし、
  積極的に 自分から動いて、認めてもらって、あ 面白いな とか、
  少し、言葉が喋れるように なった時に、
  じゃあ、どういうことを考えていて、とかって、拙い言葉で 説明できたりとか、っていうのを、
  やっぱり、肌で経験していた っていうのは、
  客観的に、じゃあ 自分て、目の前にいる 彼らとは違って、
  どっから来て どこで生まれて、何が 違って、何が 一緒なんだろう とか、
  そういうのが ずうっと、やっぱり、疑問だったり 感じたり っていうのが あったし。
  スウェーデン ていう街で・・・」
岡田くん
  「うーん、あ、海外で・・・」
田根さん
  「そうです。 で、スウェーデン だったり、デンマークに行ったりとか、
  そうやって ポンて、ほんとに知らないとこで、誰も。
  やっぱり、ゼロから飛び込んだ時に、
  歴史 文化 社会 っていうのが、とか 生活 っていうのが、
  どうやって作られていて、どういったものなんだろうか、っていうのを 少しずつ 考えていたし、
  もちろん、建築 っていうものも、それぐらい、文化を作る 職業では あるので、
  やっぱり 個人があって、その周りに、個人の生活があって、
  その周りに、少し おっきな社会 っていうのが あるんだけども、
  文化 って もうちょっと、100年ぐらい おっきな、  
  さらに おっきな、周りにあるものなので、
  それを作る職業を選んだんであれば、そういうことを考えていかなきゃな、と思ったし。  
  ポンポン ポンポン 変わるんで(笑)なんか その、変わるたんびに その違いとか、
  上手くいくこと いかないこと、とか、
  自分に対しての こう、やりきれなさとかを ずうっと・・・感じていたのかも しれないし(笑)」
岡田くん
  「(笑) 自分のこと、すごい 考え・・・自分て、何なんだろう、って 考えてた ってことですか」
田根さん
  「うーん。 自分て 何なんだろう っていうことを考えてたか、っていうよりは、うーん・・・
  例えば その、ここと そこは 違って、
  何で、ここは ここで、そこは そこなんだろう、とか、
  自分は 自分で、彼は 彼で、とかって、やっぱり、
  一つ一つが違う っていうのは、それなりの 時間だったり 理由があったり、
  そういうものが あるはずなんで。 うーん・・・
  なんか それを、一生懸命 考えていたり、とかですね。
  なんだろう、自分のことを やっぱり、ほんとに いまだに、よく わかんないな って、
  いつも 思っちゃうんですけども・・・」
岡田くん
  「(笑)」


(曲)
NIRVANA 『COME AS YOU ARE』
ネヴァーマインド


岡田くん
  「エストニア、いま どうなってるんでしたっけ?」
田根さん
  「今年から 現場が始まって、で、約36カ月 という、
  3年ですかね、かけて、完成に向けて 動き出す、っていうとこまで、
  やっと たどり着いた、っていう感じです」
岡田くん
  「うーん。 もう そうやって、長~いじゃないですか」
田根さん
  「長~いですね(笑)」
岡田くん
  「アハハ! どうなんですか、その、長~い間、26ん時から、
  31 ですよね」
田根さん
  「はい」
岡田くん
  「できあがる時で、34 ぐらい?」
田根さん
  「そうですねえ・・・」
岡田くん
  「ぐらいまで。 うーん、なんだ、
  8年間ぐらいですか?」
田根さん
  「足掛け、そうですね」
岡田くん
  「足掛け 8年間ぐらい かけて、その、一個のものを こう、やっていく っていうのって、
  どういう気持ちなんだろう、って・・・」
田根さん
  「ね。 じゃあ、人生で、何個 作れんだろう と思うと、なんか(笑)」
岡田くん
  「アハハハ! そうですよね」
田根さん
  「考え始めたら、あれ? これしか作れないのか って(笑)」
岡田くん
  「(笑)」
田根さん
  「ちょっと、残念だなぁ と思いながら・・・」
岡田くん
  「いろいろね、かぶせて やっていくんだと・・・やって いくんですけども」
田根さん
  「そうですねぇ。 なんか でも、この間も、その図面を見て、
  一つの建築で、こんだけの膨大な図面を描かなきゃいけないと思うと、
  えっ? みなさん、建築家 って、ほんと大変だな~ って(笑)」
岡田くん
  「(笑)」
田根さん
  「改めて、実感しました」
岡田くん
  「いま、アシスタントとかは いないんですか?」
田根さん
  「いや、います います。
  スタッフ が、だいたい 15人ぐらいで、今 やってるんですけども」
岡田くん
  「そうですよね。 すっごいねえ・・・」
田根さん
  「なんかもう、終わんない 終わんない って、最後の方、
  去年の夏までの半年間、ずうっと やっぱり、
  一生分 ていうぐらい、図面 描いてましたね、たぶん」
岡田くん
  「そうですね、15人でも ちょっと少ないぐらい ですもんね」
田根さん
  「少ないですねぇ・・・」
岡田くん
  「そんだけの人数で やっていて、
  いま もう “ミラノサローネ” いま やってるんですよね」
田根さん
  「あっ、そうですね。 今年の 4月に、
  東芝という 日本の、あの 大きな、
  東芝が LED を使った、光の インスタレーションをやるというので、
  今回、自分の方が それを こう、考えて作る というようなことを 今 やっています」
岡田くん
  「4月・・・」
田根さん
  「4月 ですね」
岡田くん
  「どこで やるんでしたっけ?」
田根さん
  「えっと、ミラノ の トルトーナ地区 という、
  ミラノ市内の、工場とかが ある 地区なんですけども、
  すごく 面白い場所を見つけたので、ここで やりたいと お伝えをして、
  そこの場所でしか 見せれないような光を 見せたいなぁ と思って、いま やっています」
岡田くん
  「日本で やってよ・・・(笑)」
田根さん
  「(笑)」
岡田くん
  「(笑)観に行けないから、ミラノ・・・
  いや、まあ、頑張れば 行けるけど」
田根さん
  「(笑)」
岡田くん
  「あの(笑) 観たいですよね。 だから・・・」
田根さん
  「日本で」
岡田くん
  「やってくれたら、すごい 嬉しいですけどね」
田根さん
  「そうですね」
岡田くん
  「田根くんの、建築・・・ま その、僕、アートの方で、知っているから、
  田根くんの方は」
田根さん
  「はい、ありがとうございます」
岡田くん
  「だから、建築も 3年かかるし・・・」
田根さん
  「はい」
岡田くん
  「他も、いっぱい ありますよね」
田根さん
  「そうですね」
岡田くん
  「他も なんか、取り組んでやってるけど、
  いま見えんのは、だから、そういう アートとか・・・」
田根さん
  「はい」
岡田くん
  「ねえ」
田根さん
  「そうですね。 あと、日本でいえば、早ければ、今年の8月ですか、
  小沢征爾さん 指揮の、サイトウ・キネン というのの メイン イベント となる、オペラの、
  空間演出を 自分の方がやるというので、
  それは ほんとに、いま、気合を入れて やってるやつでも ありますし」
岡田くん
  「観たいですね・・・それもね」
田根さん
  「いままで、ずっと 海外の演出家の方がやられていて、
  で、今年ちょうど、20周年なんですよ。
  で、小沢さんのほうから、メイドインジャパンで やりたい。
  その時に、演出をできる方 っていうのは、自分と よく仕事をさせていただいてる、
  金森穣さん ていう 演出家の方がいるんですけども、
  彼に 白羽の矢が当たって、で、彼の方から 一緒にやろう、と」
岡田くん
  「うん」
田根さん
  「僕も やっぱり、これは 一生に一回しかないと思ってるし、
  自分も ほんとに、何年か前に、パリの、彼の指揮のコンサートに行ったんですけども、
  ものすごい こう、感動したんですよね」
岡田くん
  「うーん」
田根さん
  「すごく、勇気をもらったというのがあって、
  それ以来、やっぱり こう、ある種、憧れの人でもあったので、
  その方と 仕事できる っていうのは、何よりも 嬉しいことですね」


(曲)
SEIJI OZAWA:SAITO KINEN ORCHESTRA 『ミサ曲BWV232~終曲』
小澤&サイトウ・キネン 10th Special


岡田くん
  「田根さんは、やっぱ こう、日本での活動 ってのは どうなんですか?」
田根さん
  「これから・・・」
岡田くん
  「うーんと・・・田根さん 自身が、日本で・・・」
田根さん
  「活動する・・・」
岡田くん
  「どういうふうに思ってんのかな、と」
田根さん
  「あぁ。 なんか やっぱり、自分が生まれ育った街。 土地だったりするので、
  うーん、少しずつ やっぱり、さっき話したように、
  20代、もう がむしゃらに、ほんと 直感を信じて 生きてきたんだけれども、
  少し、自分がこの歳になって、
  で、事務所を作ってからも そうなんですけども、
  やっぱり、少しずつ 自分の環境を作る っていうことを 始めたんだな、と思ったし、
  特に、ほんとに この 一年ぐらいで、
  やっぱり、日本で 何かしたい って思いが、だんだん 強くなってきたので」
岡田くん
  「うーん」
田根さん
  「拠点は やっぱり、パリ なんだけれども、この時代だからこそ、
  日本とパリを 行ったり来たりもできる時代だからこそ、
  何か こう、やって行きたいな という気持ちは、少し 強くなってきてるので・・・」
岡田くん
  「うん」
田根さん
  「うん」




岡田くん
  「なんか、変わりました?」
田根さん
  「どうですかね・・・(笑)」
岡田くん
  「なんか・・・何か ありました?」
田根さん
  「どう・・・」
岡田くん
  「1年間ぐらい。 なんか、変わった気がするんです・・・」
田根さん
  「しますか? そっか・・・うん。 なんか、自分から・・・」
岡田くん
  「男。 男な感じがする」
田根さん
  「あ、ほんとですか?(笑)」
岡田くん
  「(笑)」
田根さん
  「嬉しいです」
岡田くん
  「なんか あったのかな、って・・・」
田根さん
  「なんか・・・たぶん、お会いして、
  初めて ラジオに出させていただいて、
  自分の言葉を 外から聴いたのも 初めてだったんですよね」
岡田くん
  「うん」
田根さん
  「で、すごい 落ち込んだんですよ」
岡田くん
  「あれ、すごい良かったです(笑)」
田根さん
  「(笑)」
岡田くん
  「良かった っていうか・・・」
田根さん
  「いや、ほんとに、きちっと 自分の言葉を持たないと、と思ったし」
岡田くん
  「あー・・・」
田根さん
  「それを聴いて 自分が、もう なんか、ガクッとしてしまったし・・・」
岡田くん
  「うん」
田根さん
  「だからこそ、でも、こうして 今回も、機会をいただいて、
  だったら やっぱり、自分が これまで経験したことであり、
  何か 言葉にして、誰かに伝えることができる ものなんだからこそ、
  積極的に 自分の言葉を見つけて、言葉を発していく ってことを始めないと、っていうのは、
  去年 一年の、おっきな課題に なりましたね」
岡田くん
  「うーん」
田根さん
  「エストニアで、アイデンティティー の話とか、いろんなことを、
  草むらに座りながら 話してた時の あの感覚・・・から 少し、意識が、
  言葉 っていうのに、すごく、開き始めた、っていうのは あるかもしれないですかね」
岡田くん
  「20代 ん時は、自分の言葉 って、無かったですか?」
田根さん
  「言葉に・・・わかんないですけど、
  言葉に しない、ならないことに 価値があるとか、そういうことを すごく信じたし、
  やっぱ、ものを作る ってことを信じていたので、
  ものを作って、それが全てだ とは思っていたんだけれども、なんせ、時間がかかるし(笑)
  その間に、こうやって お会いした時に、お見せするものが無い。
  だけれども、自分が経験したこと、感じてることを、
  言葉にして、伝えることが できるんだ、っていうのを実感したので、
  これは やっぱり、もっと 意識しなきゃ いけないし、
  自分の言葉 って、なんだろう、
  伝えられることは なんだろうか、っていうのを、
  やっぱり、去年から、すごく意識してるかも しれないですね」
岡田くん
  「うーん・・・まぁ いま、
  僕は、20代の頃 って・・・何かなぁ。
  もう、がむしゃら だった・・・ですかね。 がむしゃらで・・・」
田根さん
  「10・・・」
岡田くん
  「14 から 働いてるんで、もう、10代 20代も そうですけど、あの・・・
  毎回、出てくる疑問と、自問自答しながら、やっていってましたね・・・
  いろんなことと 闘ってたし」
田根さん
  「へぇー」
岡田くん
  「(笑)なんだろう、そんな 闘わなくてもいいのに、ってことと 闘ったりとか・・・
  最近 思うのは、ちゃんと生きたいな って、すごい思うんですよ」
田根さん
  「ちゃんと 生きたい」
岡田くん
  「うん。 今日 会ったら、話そうかな と思ってたんですけど」
田根さん
  「はいはい、はい」
岡田くん
  「 “ちゃんと生きる” って、どういうことですか?・・・(笑)」
田根さん
  「どういうこと・・・」
岡田くん
  「(笑)自分で たまに、オレね、最近 インタビュー で 聞かれると」
田根さん
  「うん」
岡田くん
  「最近 どうしたいんですか? って言われたら、
  ちゃんと生きたいんだよね、って、すごく思うんです」
田根さん
  「(笑) なるほど・・・」
岡田くん
  「 “ちゃんと生きたい” 
  人としても、岡田准一 としても、その、なんだろう、
  仕事を これ やってるとか、これ やってるとかじゃなくて、
  人として ちゃんと生きたい、って すごく思うんだけど、
  じゃ、ちゃんと生きるって何? って言われると、説明ができないんですよ、自分の言葉で。
  昔は なんか、なんだろう、一個 一個に、こう、一喜一憂 じゃないけど、もう、
  頑張る これ頑張る、これ やるんだ、これ楽しい、これなんだ、っていうのに・・・のが、
  全部 たぶん、自分の中で 一つに なりかけていて、それを ちゃんとしていきたい、っていうか、
  その・・・大人として、っつったら変ですけど、30越えて、
  “ちゃんと生きる” って、どういう言葉で 説明すりゃあ いいのかな? って、
  話しながら 思ったんですけど」
田根さん
  「ちゃんと生きる・・・」
岡田くん
  「うん」
田根さん
  「そうですね、なんか、最近 ちょっと、
  まあ、お答えできるか わかんないんだけど、なんか その・・・一つ 思ったのは、
  自分と・・・岡田くんも そうなんですけども、
  近い世代の方達が、すごく活躍されてるのも あるし、
  今の時代を創ってる方達が 近くにいて、
  あぁ、こうやって 世代 っていうのがあって、
  文化とか その時代とか、ってのを創ってるんだ、っていう実感が、
  ある時 フッと、あったんですよね」
岡田くん
  「うん」
田根さん
  「同時に、それを 観てたり 楽しんだり とか 使ったり、っていう方達も いて、
  そうやって、時間が流れて行くか、って思うと、
  やっぱり、何かを生み出していく方の 生き方、
  それを楽しむ方の 生き方、っていうのも あると思うし、
  それを 自分は、じゃあ、30に なった時に、
  やっぱり、創っていく方に 行きたい、発信していく方に なりたいと思ったからこそ、
  課題を いくつか、課したんですよね(笑)」
岡田くん
  「うん」
田根さん
  「朝の 1時間は、自分のために使う時間を用意して。
  やっぱり、夜だと疲れて、ダラダラに なっちゃうんで、朝 起きて、
  すこし早く起きて、仕事に行く前の 1時間、朝ごはんを食べた後に、勉強の時間を作ったり。
  ちょっと 疲れた時は、勉強しないんだけど、
  とりあえず 1時間、自分の時間を作る、っていうと、
  24時間だと、1時間は 自分の時間に なる。
  で、その 1時間が、1週間で 7時間だったり、
  1か月だと、30時間が 自分のための時間になる、って思うと、
  あぁ、これは やっぱり、続けなきゃ と思ったんですよね」
岡田くん
  「うーん」
田根さん
  「それは、勉強して、知らないことを知ってもしいし、調べ物をしてもいいし、
  ただ 文章を書いてみたり でも いいし、仕事のスケッチでも いいし、
  その 1時間を 自分のために使おう、って決めてからは、すこし 意識が変わったし、
  なんか、それを始めた、っていうのが ありますね」
岡田くん
  「うーん」
田根さん
  「それが “ちゃんと生きる” か、わかんないんだけども、
  やっぱり、自分の、なんかこう、すごく、今まで なかったものだし、
  知らないことを知る。
  例えば “ちゃんと生きる” って なんだろう? って、
  明日の 1時間で考えてみてもいいし、とか、なんか そうやって、
  前の日に感じたことを、次の日に考えてみたりとか、
  その 1時間は、いま 自分にとって、結構 かけがえのない、大事な時間に なってきておりますね。
  なんか、それが 30になってからの、
  大きな変化では あるのかも しれないです」


(曲)
THIS MORTAL COIL 『MORNING GLORY』
Filigree & Shadow




(対談が終わって、岡田くんの感想)

「さあ、ということで、田根剛さんと お話をさせていただきました。
いやあ、ねえ、あのー、1時間 自分の時間を ちゃんと作る とか、まあー、なんだろう、
ほんと、帰り際も 『30代に なって 僕、変わったんですよねえ』 って、田根くんが、言ってて。
僕も、そうなんですよね。 30代になって、変わったというか・・・うーん、
なんか、責任 ていうのも 自分だけじゃなくなって、
いろんなこと 考えれるようになった、っていうのが あるんだと思うんですけど、
たしかに 変わった、っていうのも あって・・・うーん。

なんか やっぱ、田根くん、面白いんですよね。
なんか、すごく 自分のことを考えてきていて、
やっぱ、最初に言ってた、自分の気持ちを どう伝えれるか、とか、
人と接していく中で どう変わっていけるか、っていう・・・やっぱ、そういう こう、
自分は こうなんだ こうなんだ、って言う前に、
人と こう、変化をしていく、っていうことを受け止められる。

結局、一人では なんも変わんなくて、
人と接したときに、どう変わっていくか、っていうことなんだと思うんですけど、
自分を突き詰めちゃうと、自分だけになって、変われなかったりすると思うんですけど、
その先に、人と どう触れ合って、考え方も 影響も受けて、っていうことを こう、
柔軟性を持てるか、っていうのが こう、
僕、20代、すごく大事なことだと思っていて・・・
それが こう、田根くん ていうのは すごく、上手く やれていたんだろうな、っていうのは すごく、
いつも感じるんですよね。

自分とも話をするし、でも、人から影響を受けることを拒まない、というか。
自分があるから、人から 影響を受けても、
心酔しない って言ったら 変ですけど、どっぷり浸からずに、いいとこを こう、取っていけるし、
いいとこを影響 受けれるし、っていう、そういう こう、なんだろう、
自然に、海外に行って 身に付けたのかな、っていうのは すごく思いますね」


(曲)
MAIA HIRASAWA 『WHEN WE ARE TOGETHER』
maia hirasawa




(田根さんからの コメント)

「20代のうち っていうのは、いろんな 面倒くさいこと とか、やりたいこと、
自分が できること、自分が やんなきゃいけないこと、っていう バランスは、あるんだけれども、
その バランスと同時に、自分の直感 っていうのを信じて、
やっぱり、やりたいことを やってみて、
それが、30になって繋がること っていうのは、すごく あるので、
まず、何よりも 直感を信じて、自分が感じることをやる。
そこから、次に繋がっていくので、あんまり考え過ぎずに、
まず、自分を信じる っていうことを試さないと、何も繋がっていかないし、
繋がった先に、また その先が見えてくるので、
それを信じて、がんばってください」

Appendix

Archives

全ての記事を表示する

02  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12 


Growing Reed

J-WAVE
every Sunday
  24:00~25:00
Navigator
  Junichi Okada
  ・・・・・・・・・・・・・・・・

J-WAVEとは関係のない
一般のリスナーですが、
素晴らしい番組内容を残したくて
『Growing Reed』を
文字にしています。


Blog Search


QRcode

QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。